聖南西果樹農家巡り(中)=ピニャールの山下治さん=福井村の草分け、苦労の葡萄作り

山下さん(葡萄と共に撮影)

山下さん(葡萄と共に撮影)

 ブラジルでは夏が過ぎて実りの秋となり、葡萄の収穫期だ。コロニア・ピニャール移住地で大玉の種無しマスカットや葡萄を中心とした果樹菜園を行う山下治(おさむ)さん(85歳・福井県)を取材した。
 山下さんは、同地域で畑を開いて58年。現在合計面積約27アルケール、3つの畑でマスカット、葡萄、柿、デコポン、アテモヤなどのフルーツを作り、APPC(パウリスタ柿生産者組合)で販売している。山下さんが作る種無しマスカットは1粒20グラムもある大玉で、甘さにも定評がある。
 この3、4月と葡萄の収穫期は国内・輸出用、平日毎日100~150箱を卸販売で出荷するという。19年には、農業に従事した功績が讃えられ、日本国外務大臣表彰にも選ばれた実績の持ち主だ。
 1959年、23歳の時にコチア青年として単身渡伯。当時のパトロン入江新左衛門(しんざえもん)氏の元で農業を学び、63年に通称「福井村」と呼ばれたピニャール移住地に入植第一号として嫁と生後6カ月の長男を連れて入植し、同地域で独立した。
 当初は、葡萄を植えて販売できるようになるまで4年かかり、生活費の工面に苦労したという。
 「当時は本当にお金がなく苦労しました。新しい葡萄の木を植えたくても植えることができません。販売可能なレベルの葡萄ができるまでに4年かかったので、その間トマトを植えて生活をしのぎました。トマトは10年植えて収入を工面していましたが、借金も相当ありました」と過去を振り返る。

収穫間際の葡萄

収穫間際の葡萄

 さらに「葡萄の実がなってからも、小鳥や雨、虫、雹(ひょう)などが実を傷つけるので、それらから守る為の網を購入し、出費が重なることもありました。当時、網は畑の土地代よりも高く生活は大変でした。ただ、そうした努力が実を結び、独立して10年でやっと葡萄一本で営農することができ、苦労したかいがありました」と当時を思い起こす。
 手入れについて聞くと「葡萄は本当に手がかかり、年中様子をみないといけません。でもあの大変な当時諦めなかったからこそ、今の安定した生活があると思います。この畑を支えてくれた移民の先輩や家族、従業員にも心底から感謝しています」と笑顔を浮かべる。
 そんな山下さんに果樹栽培で一番うれしい時を聞くと、「手塩にかけて育てた果実が適正ないい値段で売れることが一番嬉しい。大事に育てた果実がいい値段で売れると、苦労の甲斐があると実感する。それだけの価値があるんだと果実も喜んでいる気もしますね」と柔らかい笑みを浮かべて語った。(つづく、淀貴彦記者)

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