中島宏著『クリスト・レイ』第146話

 アゴスチーニョ神父もおっしゃっていたように、師範学校で学んだことは私にとって、すごく重要だったし、世の中の諸々のことを見据えるという点で、大きな意味を持つものでもあったわ。あの学校で習ったことは、もちろん、知識を吸収するという目的もあったけど、同時にまた、いかに勉強するかという、その方法を学んだといえるわね。全般的なことをただ漠然と勉強するのではなく、あるテーマを選んで、そこを集中的に勉強することによって、本当に自分が知りたいことが学べるといったことね。
 おかげでこのことは、その後の私の勉強の仕方に随分役立ったわ。そういう形で勉強すると、実際にそのことが自分の身に付くということにもなり、そこからまた、疑問が生じたら、そこに向かって進むということを繰り返すと、いつの間にか自分でもびっくりするほど、遠くまで到達できるという感じね。
 もっとも、いつもそうだとは限らず、ときには大きく頭をぶつけることもあるけど、でも、それもまた勉強のうちだともいえたわね。
 ところで、両親のことだけど、私がブラジルへ移民することに決めたと言ったら、最初は一瞬驚いた様子だったけど、でも、意外とあっさり承諾してくれたわ。
 母のことは、いつも私に賛成してくれるから問題ないとは思ってたけど、父の方がどういう態度に出るか、実はその辺がちょっと心配だったの。しかし、それも大した抵抗もなく、すんなり受け入れられて、何だか拍子抜けの感じもあったけど、承諾されたことはとても嬉しかったわ。
 もちろん、それには教会のアゴスチーニョ神父の賛同と支援があることや、叔父の家族と一緒に移民するということもちゃんと説明して、それが単に、思いつきのものではなく、将来のことを見据えてのことだということも話したわ。
 この話をしたのは、実際に移民する時より一年近くも前のことで、この後でも色々お互いに話す機会があって、両親とは随分、話し合ったわ。この私のブラジルへの移民の決心が、間接的には私の産みの母親である、あの牛島あきさんにも繋がっていることも話そうかと思ったけど、さすがそこまでは言い出せなかったわ。
 でも、父も母もその辺りのことはちゃんと分かっていたはずだし、あえて私がそれを言うこともなかったでしょうね。
 父は、お前の人生だからお前の思うようにやっていったらいい。ただ、どんな場合でも、後になって後悔はするな、思うような結果が出なかったとしても、それまでお前が一生懸命やったということに確信が持てれば、それでいいんだ。最善を尽くして生きたということをお前自身が分かって納得できれば、それが最高の生き方というものだろう、と言ってくれたわ。
父は寡黙な人だけど、芯は強いものを持っていたわね。私はそれを聞いたとき、父の溢れるような愛情が、私の心の中に染み渡るようにして伝わっていくのを感じたわ。
後になって母から聞いたことだけど、アヤはいずれわしたちから離れて、遠くへ行ってしまうことになるかもしれんな、と父が大分前から言っていたそうなの。それで母には、だからお前もそういう日が来ることを覚悟して置けよと言ったそうよ。何となく父にはそういう予感みたいなものが働いていたのでしょうね。
それと、私のような、常軌から外れているような人間は、いつか父や母の手の届かない世界へ行ってしまうということを薄々感じ取っていたのでしょうね。
「お父さんたら、わしたちは、「竹取物語」の爺さんと婆さんだなあ、と言って笑ってたけど、その笑顔の中にね、ふっと寂しげな表情が浮かんでたのよ」
そういって母が私にそっと話してくれたけど、そのときの気持ちはたまらなかったわ。
「それにしては、主役のかぐや姫の輝きが弱すぎて、何だか心許ないわね」