中島宏著『クリスト・レイ』第147話

 私はそう言って笑って答えたんだけど、本当はその場で思い切り泣きたい気持ちだったの。でも、良かった。こういう父と母に育ててもらって本当に良かったし、私はとっても幸せだったと思ってる。
 私がブラジルへの移民を思い立ったのは、さっきの説明通りだけど、じゃあ、今村町の人たちはどうだったかというと、私の叔父も含めて、その事情はもっと切羽詰まったものだったわ。とにかく生活を支えていくだけでも精一杯で、まったく余裕がなく、将来という遠いことよりも、現在をいかに生きるかということしか、皆の頭にはなかったわね。この貧しさを何とか凌げても、ではその先に大きな希望が待っているのかというと、そういう雰囲気もまるでないし、特に農村では、 先がまったく見えてこないという有様だったわ。
たしかに、これまで皆、辛抱しながら生活し、生きて来たけど、それもしかし、だんだん限界に近づいて来たという感じが強くなって来て、これでは思い切ってどこか外の世界へ出て行って、自分たちの人生をやり直すしか方法がないのではないかという考えに傾いていったの。もちろんそれは、すべての人たちではなくて、若い人たちを中心にしたグループが、そういう動きを見せ始めたということね。そこから、移民ということに話が繫がっていき、これまですでにその実績がある、ブラジルへの話が具体化していったということなの。
 私の家はそれでも、まだ多少はましだった方ね。貧しいことには変わりないけど、まだ家族を養って、少しぐらいの蓄えは残していたから、明日からの生活が困るというほどには逼迫していなかったことは事実ね。父は叔父に、今のところは大丈夫だが、もし、本当に食べられなくなったら、わしたちもブラジルへ行くことになるかもしれない、と真面目な顔で言っていたわ。まあ、結果としては、そこまで状況が悪化することはなかったみたいだけど、でも、余裕のある生活などまだとても考えられない状態にあったことは間違いなさそうね。
 そんなわけで、叔父たちを始めとする今村からの移民が決まったのだけど、その目的の中には、短期間に資金を稼いで、日本に戻ってくるという考えはまったくなかったわね。もちろん、ブラジルへの移民は、現状の貧しさを打破して、将来への希望が持てる国への脱出という目的があったから、農業で成功して豊かな生活が送れるという夢があったことは事実だけど、その場合は、その時点で日本に帰るという発想ではなく、もし、うまくいけばそれを拡大しつつ、さらなる先へそれを伸ばしていこうという考えが強かったわね。
 仮に、それが思ったようには進まなかったとしても、それをこのブラジルでの次の世代に渡していくことによって、それが可能になるというふうな発想は皆、持っていたようね。
 だから、急いで稼いで早く成功しようという発想ではなく、最初の基礎をしっかり造っておくことによって、次代の者たちに確実に引き継がせていくという考え方なの。そこに、このゴンザーガ区に住む人たちの特徴があるし、そこのところが、他から来た移民の人たちとは違っていると言えるでしょうね。