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《特別寄稿》55周年の節目を振り返る=同郷者交流から日本文化普及へ=ブラジル日本都道府県人会連合会

 日本では第2次世界大戦後、海外移住が再開されました。それに伴い、移住者を援助し激励するための海外移住家族会が県単位で結成され、1962年、その全国組織の『日本海外移住家族連合会』(略称=家族会)ができました。
 1965年9月、サンパウロで開催された第1回南米日系人大会に出席した田中龍夫会長が斡旋し、サンパウロ総領事館を通して、日系コロニアに家族会に対応する組織の創設を要望しました。その結果、翌1966年4月にブラジル日本都道府県人会連合会(県連)が設立されました。
 当時は、戦後海外から引き揚げ、ブラジルに移住した日本人の海外引揚者給付金対象者調査や給付などの移住者擁護、移住者の消息調査、移住者家族子弟研修生の送出、家族会南米慰問団の引き受けなど、移住者にとって、大切な問題に取り組んできました。
 その後、日系社会の広がりに従い、47都道府県人会の交流を深め、その絆を深める事業や移民の足跡を残し(保存)、これを次世代に伝える(伝承)事業やブラジル社会および次世代に日本の郷土文化や現代日本を伝える、日本文化普及事業にも取り組み、55周年を迎えることができました。

■主な活動■

開拓先没者慰霊碑の建立と慰霊祭

開拓先没者慰霊碑

 移民の中にはマラリアの大流行や病に倒れ、治療を受けることもできずに亡くなった方が少なくありません。そして、その後、移住地の荒廃により、お墓は放置され、墓標だけが残されるケースが多くありました。
 これらの忘れ去られてしまった先達移民の足跡を印し、その記憶を残すために1975年に多くの方の協力により、サンパウロ市イビラプエラ公園内の日本館の近くに開拓先没者慰霊碑が建立されました。
 これは、約5トンの黒い御影石を磨いた美しいもので、その中心に「開拓先没者慰霊碑」と日伯両国語で刻まれています。日本語の文字は田中角栄元首相(1972年から1974年に在職)の揮毫によるものです。
 この慰霊碑には日本から皇室ご一家、首相、関係大臣、外交官、県知事、宗教関係者、歌手の方々など多くの方が開拓先没者のことを想い訪問くださっています。そして、6月18日の日本移民の日には毎年、この慰霊碑で「開拓先没者追悼慰霊法要」を行っています。

移民のふるさと巡り

2019年にふるさと巡りで訪れた米カリフォルニア州のマンザナー日系人強制収容所跡地

 1988年のブラジル日本移民80年祭の年から、移民にゆかりの深い土地を訪問し、その歴史を知ると共に日系人の絆を深め、交流の輪を広げるために、「移民のふるさと巡り」が始められました。最初はサンパウロ州のノロエステ線(第1回)、パウリスタ線(第2回)、モジアナ線(第3回)など初期移民が入植した地域を訪問しました。
 1998年にはペルー国を訪問し、2001年には移民の出発地である神戸港を訪れ、移民乗船記念碑除幕式に参加することもできました。
 その後も定期的に移民のふるさと(移住地)を巡り、2019年にはアメリカを訪問し、カリフォルニア州にある全米日系人博物館を見学し、第2次世界大戦当時のマンザナー日系人強制収容所(総計11万人強のアメリカの日系人を収容)での収容生活に触れたり、ロサンジェルスの日系コミュニティーと交流を深めたりしました。
 また、現在は国の史跡となっているマンザナー強制収容所跡も訪れ、日系コミュニティーが建てた慰霊塔を取り囲み、参加者全員で記念撮影もしました。シエラネバダ山脈を後ろに控え、一日中、乾燥した、寒くて風の強い、人が近づけない場所でした。

サントス日本移民上陸記念碑の建立

サントス日本移民上陸記念碑

 1908年6月18日に笠戸丸移民がサントスに上陸し、1973年3月27日に日本丸で256名の最後の移民が到着するまで25万人の日本人がブラジルに移住しました。
 このブラジル日本移民が第一歩を印した地サントスに「日本移民上陸記念碑を建立する」ことがブラジル日本移民90年祭の記念事業の一つとして取り上げられ、1998年6月21日にボッケイロン海岸に日本移民像が設置され、その除幕式が行われました。
 また、2009年10月18日にロベルト・マリオ・サンチニ市立公園に移転され、盛大な上陸記念碑移転祝賀会が執り行われました。
 この像の台座の正面には『日本移民ブラジル上陸記念碑』 「内閣総理大臣 橋本龍太郎 書」と刻まれ、裏面には
“Sussumu Miyao
A saga dos Imigrantes Japoneses iniciada no Porto de Santos em 11 de junho de 1908, completa 90 anos. Dos 250.000 imigrantes sobrevivem 80.000 e, incluídos os descendentes, somam 1.400.000 que hoje vivem e labutam nesta Terra.”(日本移民の物語は1908年6月11日にサントス港で始まり、90年を迎えました。25万人の移民のうち、現在8万人が健在で、その子孫を含めて、今日140万人がこの地で勤勉に生活しています。「宮尾進書」)と刻まれています。

日本祭り(フェスティバル・ド・ジャポン)

日本祭り(フェスティバル・ド・ジャポン)

 県人会関係の留学生や研修生OBが中心になり、日本文化普及のための日本祭りの原点となるイベントがサンパウロ近郊都市で行われました。
 その後、1998年に日本の郷土食や郷土芸能をブラジル社会に広く紹介すると同時に日系社会の次世代育成を願い県連が主催し、サンパウロ市イビラプエラ公園内マルキーゼで『第1回日本郷土食・郷土芸能まつり』が実施されました。
 世界最大の日系集団地であるブラジルの特徴を生かし、日本の47の都道府県人会すべてが参加し、地域に綿々と受け継がれている郷土食や郷土芸能を紹介するだけではなく、日本の最新の文化や技術などにも触れることができるイベントは世界でも珍しく、日本祭りファン(日本理解者)も年を追うごとに増加しました。
 現在では会場もブラジルでも有数のイベント会場であるイミグランテ・エスポジソンで行われ、来場者も20万人を超える規模に成長しました。また、これらの功績が評価され、サンパウロ市やサンパウロ州の公式行事として認可されています。

オンラインによる実施

昨年初めてオンライン開催した日本まつりのバナー

 しかし、2020年はコロナ禍のため、リアル空間であるイベント会場では実施できなくなり、オンラインによる日本祭りライブに取り組みました。初めての取り組みであり、多くの試行錯誤の末、県人会の若手メンバーの新しい技術や企画を取り入れた主体的な活動により、大きな成功を収めることができました。
 特に、日本の習慣や文化を深く見つめ、これに誇りを持ち、広く伝えようとしている姿にも触れることができました。オンラインに取り組むことにより、今後の日本祭りの可能性が大きく広がり、将来に大きな希望を抱くことができました。
 いまだに、コロナ渦が続き、先が見えず、課題も多く抱えていますが、リアル空間で開催する予定の「第23回日本祭り」準備に取り組んでいます。

他の団体との共催行事

【県人会対抗ゲートボール大会】ブラジルゲートボール連合の協力を得て、県人会対抗ゲートボール大会を行い、県人会間の交流、親睦をすすめています。
【日本語弁論大会】日本語普及や県人会子弟の日本語表現能力などを高めるためにブラジル日本語センターと共催し、弁論大会を行っています。

■今後の展望■

青年層の活躍と県人会の活性化

 日本文化を非日系人に伝えると同時に自らの知識を深めることができる日本祭りによって、次世代を担う青年層の日本やコミュニティーの活動に対する意識や関心が高まり、県人会や日系団体の活動が活性化します。
 新しい挑戦や夢に向かう青年層と従来の方法を大切にする保守層が調和して活動していくことで、組織の若返りを図ることができます。この青年層の加入により県連や県人会の活動範囲も徐々に広がり、明るく、夢のある未来へ向かうことができると考えています。

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