【特別企画】多彩な活躍する水谷ペドロ氏=コロナ禍でも好調な砂糖産業=世界と繋がるカラオケ大会《3》

サンパウロ工業連盟(FIESP)での昼食会でボルソナロ大統領(左から)と水谷氏、パウロ・スカッフェ工業連盟会長(パウリスタカラオケ連盟のサイトより)

サンパウロ工業連盟(FIESP)での昼食会でボルソナロ大統領(左から)と水谷氏、パウロ・スカッフェ工業連盟会長(パウリスタカラオケ連盟のサイトより)

ボルソナロ大統領からも期待される水谷氏とは

 今日、ブラジルのアグロビジネスの主要な柱であるスクロエネルジェチコ(砂糖エネルギー)部門の重鎮となった水谷ペドロ・イサム氏は、1959年にサンパウロ州リベイロン・プレットで生まれた。愛知県出身の父親は2歳、広島県出身の母親は4歳で渡伯。その息子は、大統領も出席する昼食会に招待されるほどの人物になった。
 水谷氏はサンパウロ州総合大学工科部を卒業後、1983年にコザン社に就職し、ピラシカーバ工場でキャリアをスタートさせた。現場の実務責任者として頭角を現し、2000年にはコザングループの副社長、2009年にはコザン・アスーカル・エ・アルコール社の社長に就任。
 2010年にはコザンとシェルの合弁事業のために設立されたライゼン社で、エタノール・砂糖・エネルギー部門の副社長を2015年まで務めた。ライゼン社は収穫した約6千万トンのサトウキビ製糖場をサンパウロ州やゴイアス州に24以上有し、2016年にはベスト・オブ・ルラル・ジニェイロ賞の栄光に輝いた。
 2016年から2018年まではサトウキビ産業連合(Unica)の審議理事会の議長、現在はコザンとサトウキビ産業連合取締役、サトウキビ技術センター(CTC)取締役会会長を務める。

7歳からフェイラで野菜販売を手伝う

 水谷氏は、2019年にはリベイロン・プレット名誉市民賞を授与された。家族がフェイランテだったため、7歳からフェイラで働き始め、セアザ(州営食料配給センター)での販売も手伝った。「その経験が、顧客との関わりや市場のダイナミクス、価格や収益を理解することにも役立った」という。
 父親には自分の仕事を継ぐように言われたが、母親がもっと勉強してより良い人生を送る様にアドバイスしたことから、大学に進学した。在学中から銀行で研修生として雇われていたが、大学最後の年にピラシカーバのサトウキビ工場での求人広告を見つけ、卒業後はサンパウロ市から田舎に戻りたかったため、少しでも郷里に近付けると思い、ピラシカーバでの就職を決意した。

ショーで歌う水谷ペドロ氏(You tubeより)

ショーで歌う水谷ペドロ氏(You tubeより)

歌にも情熱を注ぐ

 水谷氏はブラジルのエネルギー分野の華麗なキャリアだけでなく、旅行や講演活動など、ビジネスと「補完的」であるという様々な趣味を持つ。そのもう一つの顔が、思春期から歌って踊るアマチュア歌手としての経歴だ。
 幼少のころからアコーディオンを演奏して歌うおじの姿を見て育ち、水谷氏もその影響を受けた。おじの水谷昇氏は、95歳になった今も現役でカラオケを歌う。
 ペドロさんの歌唱力は、近年では第23回パウリスタ・カラオケ選手権で最終ステージの舞台に立ったほどの本格派。好きな歌は、五木ひろしさんや北島三郎さんの名曲、日本語での「マイウェイ」。日本の歌の方がよく歌うが、ロベルト・カルロスなどブラジルの音楽も好きで、必要に応じてセルタネージャも歌う。
 「仕事だけに集中すると、違うことを考えられず、新しい発想が生み出しにくくなります。歌うことで落ち着きを感じ、自信と安心感を得ることができます」と、歌への情熱を隠さない。(文・大浦智子、つづく)

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