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安慶名栄子著『篤成』(9)

第5章 つかの間の幸せ


 一連の出来事が過ぎ去ると、新たな周期が始まります。
 いばらの道はすでに通り過ぎたと思われたが、篤成の人生に再び苦難がやってきたのでした。母が深いうつ病に陥ってしまい、たびたび急性のパニック発作に襲われ始めたのです。
 現在では産後うつ病であったとわかりますが、当時はそのような症状に関しての理解もなければ、治療法もありませんでした。
 父は母をできる限り支えてあげました。深い愛情と包容力で母に接し、その上子供たちに最善を尽くすのでした。
 しかし母の容態は悪化するばかりで、うつ病がだんだん深まり、ついに父はやむなく母を施設に送らざるを得なくなってしまいました。稀によくなったりした母は時たま家へ戻りましたが、またすぐに入院するような状態が続きました。
 父は、相変わらずできる限りの努力をしながら日々を過ごしていたが、日増しに荷が重くなってきていました。
 そんなある日、いつものように畑で仕事をしていた父のところに近所に住んでいる人が重々しい表情で近づいてきたのです。悪い知らせを直感した父は、手にしていた鍬を放り投げ、断腸の思いで走り出した。知らせを伝えようとしていた近所の人も無言で父の後を追った。二人は意思疎通でただ走ったのでした。
 数分後に私の父がたどり着いたところには死体、いや、バラバラになった母の遺体があった。父はただ打ちひしがれて立ち尽くしていました。
 母は夫と子供6人(ブラジルに4人、日本に2人の子供)を残して蒸気機関車に飛び込み、自殺をしてしまったのです。
 1940年11月30日でした。

第6章  愛に勝るものはない

 線路のわきでバラバラになった遺体が最愛の妻だという現実に耐えることができたのは、残された6人の子供への深い愛情――唯その愛情しかなかった。
 それ以来、私の父は言葉では到底言い表せない人生を送り始めました。実際そのエピソード以来の父の人生は苦痛そのものであり、生きていたというより生き残っていたといった方が正しい。父は耐えきれないほどの負担を抱えていました。自分以外に4人の子供の生存のために戦い続けていたのだが、最愛の人はもはやそばにはいなかった。
 しかしながら、いたわりの精神が再び愛をよみがえらせました。遠い親戚にあたる人が妹のみつ子の面倒を見て下さることになったのです。私たちはその遠い親戚の方を「おばあちゃん」と呼ぶようになったのですが、彼女は愛情深く、大きな、大きな心の持ち主でした。「おばあちゃん」こと、比嘉松さんはまだ1歳になったばかりのみつ子の世話を、ちょうど同じ年の孫と一緒に世話をして下さるとのことでした。

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