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安慶名栄子著『篤成』(29)

 裁縫で生計を立て、最大限に節約しながら貯めたお金で洗濯屋を購入しました。ヴィラ・マリアーナという地区で、ある日本人の叔父さんがもう年なのでお店を譲る決心をしたという事なのでした。叔父さんは容易な分割払いを認めて下さり、私たちは中二階に寝床を添え、お店で暮らすようになりました。
 イオコは転校しましたが、サンカエターノ芸術財団での音楽コースはやめませんでした。たった10歳でしたが、音楽を続けるためにサンパウロ市のヴィラ・マリアーナから出て、バスを2回乗り換えヴィラ・ジェッチまで行き、そこからはサンカエターノの中心部まで行き、電車に乗ってサントアンドレ―のお爺ちゃんのところで泊まるのでした。
 週2回駅まで行ってイオコを出迎えてくれたのは義姉のシゲ子でした。義姉さんは、私にとって母親のような存在でもありました。
 彼女が兄と結婚して以来私と娘たちを助けてくれた様々な、そして数多いエピソードを列挙すると、感謝の気持ちだけで本一冊分書き綴っても足りない位です。その上、この上ない優しさと深い愛情で兄との結婚当初から父と同居し、最期まで見守って下さったのです。
 私たちがサンパウロ市のヴィラ・マリア―ナに引っ越してから、父は度々遊びに来てくれましたが、いつも何か心配そうでした。すると父は一時病気になりました。洗濯業の方は順調にいっていましたが、執着心を棄てそれを売りはらい、私とイオコは兄の家へ戻り、父のそばで暮らすことにしました。
 イヴォーネはその頃、結婚したばかりで、すでに別居していました。
 ここでもう一度シゲ姉さんの献身的な優しさを強調したいと思います。私はいつも夜明け前から仕事に出かけ、帰りは夜遅かったのでした。その間、愛情たっぷりでイオコの面倒を見てくれたのは彼女でした。イオコは心からシゲ姉さんに懐き、義姉さんを「おかぁ」と呼ぶ位で、私たちが引っ越した時には「おかぁを一緒に連れていきたい」と頼んだ程でした。
 そして義姉さんが作ってくれたお弁当。私が兄の家でお世話になっていた間に働きに出ていたころ、毎日、毎日お弁当を作って下さったのですが、そのお弁当のおいしかったこと・・・。

第16章  思いがけない喜び

 私の知り合いで、工業用のクリーニング店を営んでおり、お客さんが少なくて困っている方がいました。その人から「手伝ってもらえないか」との依頼があり、私はすぐに、短期間で沢山のお客さんを集めてあげようという気持ちで、それを受けました。
 それからの私の人生は、ガラッと変わりました。以前は預かった洗濯物を土曜日に配達するように、金曜日から土曜日にかけて夜通しでアイロンがけをしました。
 この新しい仕事では、土・日が休日だったので、父と一緒に外食に出かけたり、久しぶりに会わなかった友人や親戚に会ったりする事が出来るようになりました。父と共に過ごす時間が全くなかったというのではないが、週末に一緒にくつろぐ時間が作れるとは、実に喜ばしい事でした。