安慶名栄子著『篤成』(34)

 私とマリオが前に座っており、後部座席には残業をして遅くなった運転手が乗っていました。彼の家はちょうど私たちの通り道にあったのです。
 黒人の彼は冗談がとても好きでとっさに「誘拐だ」と答えましたが、マリオもすぐに、笑いながら「ああ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」と言いました。警官も安心したようで別れを告げ、行ってしまいました。そして私たち3人も笑いながら家へ帰りました。
 私は帰宅時間がいつも遅かったが、ある夜、イオコが私を玄関のところで待っていました。何かあったのかしら、とびっくりしましたが、イオコは何も言わずに冗談で私をおんぶして家の中に連れて行ったのです。私は疲れていたが、すぐに遊びの雰囲気に浸り、笑いながら「気を付けて」と頼むばかりでした。
 イオコは私を降ろしたが、家に入るや否やまた私を負ぶって居間を歩き出しました。私はその時、「父が年老いて歩けなくなったら負ぶってあげて日向ぼっこにつれていく」、といつも考えていたことを思い出しました。「何かのサインかしら?」と思い、恐怖心に駆られてしまいました。
 でもすぐに「ああ、神様、ありがとうございます。父が健康で、何時までも丈夫でいられますように」と願ったのです。
 クリーニング店での仕事はかなりきつかったが、とても楽しかったのです。なぜなら、従業員全員が前向きで朗らかで、夜通し仕事をしてもお客さんの要望には必ず応じるという姿勢をとっていました。
 私たちはそれに応えて、感謝の気持ちを表すように、休日あるいは仕事の少ない週末を利用して、みんなを遊びに連れていくことが好きでした。
 海や浜辺を見たことのない従業員もいましたので、カナネイヤとかイグアペーまで行きました。そして、年に一回は従業員と各家族の皆さん同伴で遠出をすることにしました。そんなある日、みんなでリオの町と、ペトロポリスという所まで遊びに行きました。従業員たちの間では皆で、「今回は5つ星のホテルで泊まるんだ」と喜んで言い合っていました。
 私としては、彼らのためには5つ星か、それ以上のホテルに泊まらせても尚感謝の意は表せないとの意識はありました。でも、予算に合わせて3つ星のホテルを取りました。
 リオの町のホテルで泊まった日の翌朝、ある従業員の子供が朝ごはんのテーブルを見て、「お父さん! ここは本当に5つ星ホテルだね!」と叫びました。テーブルの上には色んな果物や何種類ものケーキやパン、ハムやソーセージ、チーズなどの盛り合わせや果実ジュースなどがいっぱい並んであり、その子には初めての体験だったのです。
 その子供のお父さんはプレスの方を担当していましたが、最高級の従業員でした。プレスは大体、一日に600から700枚圧縮するのが普通でしたが、彼の一日の生産量は1000枚でした。毎日、熱かろうが寒かろうが、一日1000枚が彼の目標でした。
 同業者の方があちこちから、他の州からも彼の作業を見学に来る程でした。自分の目で確かめて、初めて信じられるというほどの仕事ぶりでした。彼は私たちのところで働いて3年で自分の家を建てる事が出来ましたが、絶対にリズムを落とす事はありませんでした。