特別寄稿=美空ひばりは永遠の日本の宝=サンパウロ市在住 村上ことじ

フィルムコンサートの一場面

 美空ひばりのオンライン33回忌法要と記念フィルムコンサートがあると言うので、早々と申し込んで楽しみに楽しみにしていた。
 私が幼稚園の頃にはもう美空ひばりは歌の世界に入っていて、小学校、中学校、高校時代、OL時代、ずーっとひばりの歌と共に生きて来た様に思う。ブラジルに来て色々と有り、長い事ひばりの歌を聞くことも無く過ぎた。
 日本に居る時は美空ひばりの声が、なんだか男の声の様だと思って、余り気にしていなかったが、ブラジルで落ち着いてひばりの歌を聞くようになってから大フアンになった。やはり歌が上手い! 最高の歌手だ、百年に一人出るか出ないかと言われる様な本当の天才だと言われて居るのに納得するようになった。
     ☆
 17日午後3時、オンライン33回忌法要とお墓参りの始まりは、加藤和也社長の挨拶。ひばりの養子で長男だ。「ひばりの歌を、中南米のフアンの方々に」と立派な大物歌手である母に対する愛を感じさせる挨拶であった。
 次はひばりの加藤家のお墓参りから始まって、33回忌の法要、お坊さんのお経、フアンの方々も喪服を着てお墓参りをして居る。
 その昔、ひばりが亡くなった時は沿道の両側にフアンの人々が皆、「ひばりちゃん有り難う!」「ひばりちゃん有り難う!」と涙ながらに手を振ってお別れしたと言う事だ。皆に惜しまれて、たったの52歳と言う若さで逝ったひばり。
 今生きていても84歳位で、まだまだ人生これからだと言うのに! 本当に惜しい人を亡くしたものだ。

#gallery-1 { margin: auto; } #gallery-1 .gallery-item { float: left; margin-top: 10px; text-align: center; width: 50%; } #gallery-1 img { border: 2px solid #cfcfcf; } #gallery-1 .gallery-caption { margin-left: 0; } /* see gallery_shortcode() in wp-includes/media.php */

次から次へと懐かしいひばりの映像が流れて

 日本中の人々が戦後の苦しい時、小さなひばりの歌に励まされ、日本復興に大いに貢献した事だろう。9歳の頃から大人になったひばりの色々な歌に合わせた顔が画面一杯に写し出された。
 高知県長岡郡大豊町大杉で起きたバス事故で、ひばりは九死に一生を得たそうだ。あの時に助かって本当に良かった。神様が日本にとって大切な人を助けて下された。
 昭和24(1949)年にデビュー。曲は「河童ブギウギ」で歌い踊る。歌はドラマ。歌の中に生きて来た。歌の虜になったと言う。
 名曲「悲しき口笛」「東京キッド」など9歳で大人顔負けの歌声、節回し、発声が凄い!
 曲「越後獅子」「あの丘越えて」の場面では鶴田浩二に抱かれていた。鶴田浩二が若くて凄い美青年だ。
 曲「お祭りマンボ」ではワッショイ、ワッショイと明るく楽しい歌だが歌詞は大変な歌だ。
 夫・村上が途中から口を挟み、「俺達はひばりの歌で育って来た」と言った。
 ひばりは歌う時は輝くばかりの美しさ、体中からオーラがほとばしっている様だ! 本物の歌姫だ。
 曲「リンゴ追分」。懐かしい! 子供の頃、ラジオから流れてきていた。ひばりが歌う時はいろんな表情をする。失恋の歌の時は本当に辛そうな表情、歌の物語の主人公になり切っている。
 曲「港町十三番地」では30代の成熟した輝くばかりのひばり。曲「佐渡情話」も何回聴いても凄い、上手い。
 曲「哀愁波止場」はしっとりした着物姿で歌も表情もピッタリ。曲「花笠道中」では、サムライ姿も乙なもの。刀さばき、刀の振る舞い、生まれながらの芸人とため息を付いた。
曲「天龍母恋笠」の表情が良い。曲「車屋さん」では、恋する人に出すラブレターを車屋さんに頼んだけど当てにならない。車屋さんに「内緒で渡して」という乙女の顔だ。
 曲「相馬盆唄」は福島県民謡。楽しい唄なら体全体で声も弾み表情、手も全て楽しそうに、喜び一杯で唄う姿は人を惹きつけて止まない。
 突然、隣から夫・村上の声、「ひばりは天才じゃあー。上手すぎる」。
 曲「柔」。歌詞の「勝つと思うな思えば負けよ!」には圧倒される。心の底まで響き渡ります。間違いなく人間国宝の技ですね。宝塚の男役も叶わぬ、この男振り、惚れ惚れする。1965年に日本レコード大賞を受賞した。
 世界中、日本中に居るひばりフアンを楽しませてくれるひばりは、永遠の日本の宝だ。

時に悲しく、時に躍動感たっぷりに

 曲「悲しい酒」。この唄を歌う時は、いつも涙がひばりの頬を伝わる。若い時結婚していた大好きな小林旭の事を思い出して泣いて居るのか、恋しい人の事を思って泣くひばり。別れた後の心残り、あの人の面影を思い浮かべながら「酒よ、酒よ!」と完全に歌の物語の主人公になって居る。
 何度歌ってもその都度泣くのは、何時もその気持ちになって唄うのであろう、目に涙を一杯溜めてポローと頬に伝わる一筋の涙。
 曲「真っ赤な太陽」ではガラリと変わり、明るくハツラツと可愛く歌い、別人の様だ。真っ赤に燃えた太陽だから。恋の季節だよ。
 このコンサートでは、南米中にひばりの歌が響き渡っているのだろう。
 曲「芸道一代」も唄いながら泣く。母のために歌う! この母がいなければ、歌手ひばりはいなかったであろう。
 ひばりは本当に美人だと思う! どんな人にも母は有るが、ひばりの母は大したものだ。ひばりの唄のうまさを見抜いた。そして凄いマネージャーだ!
 曲「人生一路」で力強く歌うひばり、本当に天才だと思う。
 昭和12(1937)年生まれ。戦争体験をして居る。「平和のために我は歌う」という。
 曲「一本の鉛筆」。一本の鉛筆があれば、貴方への愛を書く。一本の鉛筆があれば、私は戦争が嫌だと書く。一本の鉛筆があれば8月6日と書く。一本の鉛筆があれば人間の命と書く――。
 戦争は本当に怖い事を知って居る人の唄だ!! 心に響く!
 曲「愛燦燦」。人は可愛いものですね、人生って不思議なものですねとしみじみ語りかける良い唄ですね。
 ひばりは身長149センチメートルだそうですが、舞台に立つと舞台一杯の大きな人に見える。
 東京に行った時、ひばりの実物大の手型が有ったので、私の手を重ねてみたら指の関節一節分ほど短く、子供の手の様であった。小柄な人だったのでは無いかと思うが、舞台では一杯に見える。やはり大物歌手だ。
 次は、長い羽根を付けたひばり、表情が少し固い。悲しい唄、病気でもう立っていられない状態の舞台だったそうだ。後には医者がハラハラしながら待っていたそうだ。やはり病気なので少しだけ見せた。
 今度は元気な姿で挨拶。新しい年を迎える度に私は歌って来られた。自分が選んだ道だから、命をかけて歌っている!との言葉が胸に響く。
 曲「川の流れの様に」では、生きることは旅する事、愛する人を側に連れて夢探しながら、いつか又晴れる日が来るから、川の流れの様に穏やかに!という言葉が、力づけられる。
 元気になり勇気が貰える。ゆっくり生きようと思う。雪解けを待ちながら、川の流れの様に、何時迄も青いせせらぎを聞きながら、と。
 曲「マイウエイ」では人生の歌を歌う。愛を込めて歌って行こう。カメラ目線で語る様に歌う。「信じた道を私は行くだけ、心に決めた侭に」「自由な心で私の道を行く」と。良い唄だ。

#gallery-2 { margin: auto; } #gallery-2 .gallery-item { float: left; margin-top: 10px; text-align: center; width: 33%; } #gallery-2 img { border: 2px solid #cfcfcf; } #gallery-2 .gallery-caption { margin-left: 0; } /* see gallery_shortcode() in wp-includes/media.php */

ぜひ見に行きたいひばり記念館

 東亰目黒の青葉台にあるひばり記念館は、元々自宅だったところ。いまもまだ三人が住んでいるそうだ。記念館にはひばりが最後まで使っていた愛車キャデラックがおかれている。訪日した際にには、ぜひ見に行きたいと思った。
 映像の最後には、ひばりの三人の大親友、石井ふく子、岸本かよこ、中村メイコの3氏による思い出話がしめやかに語られる。
 ひばりがお花見しようと植えた桜は、生前は苗同然だったが、今は大きくなっているとか。
 岸本かよこさんは「神様の様な存在の人から仲良くして頂いて、なんと呼んだら良いのか悩んでいたら、『お姉ちゃんと呼んで』とひばりに言われた」とか。とても気さくな人だと思った。
 加藤和也さんの談話でも「母は泣き上戸だったり、笑い上戸で素直に感情を出す人だった。嬉しい時も、悲しい時も真剣だった」とのこと。24時間、常に一生懸命生きた人、あー言う人は2度と居ないと思った。
 だから、死後32年経っても、歌が素直に飛び込んで来る。唯一無二の歌手だ。
 中村メイコさんも「ひばりとは体型や靴のサイズが同じなので私の服を着て歌ったりした」とのこと。彼女が16歳、ひばりが13歳位で付き合い始めというから、本当に長い付き合いだ。
 映像の最後には曲「さよならの向こうに」。そして東京タワー、横浜のマリンタワーが紫色に美しく輝いた。
 コンサートをほんとうに有り難うございました。凄かったねー。ひばりに釘付けだった。ひばりは日本の宝です。類い稀な歌手だ。いろんな歌を聴いた今だから、この人の凄さが、声量も発声とか、歌に魂がこもって居ることが余計に分かる。
 32年経ってもこの凄さ! 世界中にどの位ひばりフアンが居る事だろう。有り難う! ひばりちゃん。