特別寄稿=兆万長者は宇宙より飢餓問題を=『雨月物語』に学ぶお金の使い方=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子

コロナパンデミックで激増した億万長者

100ドル紙幣の束(Public domain, via Wikimedia Commons)

 この頃は、百万長者、億万長者のさらにその上の「兆万長者」という前代未聞の金持ちが出現しているという。
 或る奇特な人が「一兆円」というのはどれほどのお金かということを調べた。するとそれは、一般庶民が、毎日きっちり百万円使う。それを3千年続けると一兆円を使い切ることになるらしい。
 BBC放送(2021年6月23日放送)報道によると、スイス銀行クレディ・スイス(世界最大規模の金融コングロマリット)の調査では、コロナ禍の2020年、億万長者の数は世界全体で520万人増加して、5610万人になったと報告している。
 オックスファム(Oxfam International=20の組織から編成される貧困と不正を根絶するための持続的な支援・活動を90カ国以上で展開している団体)の調査では、世界で最も裕福な10人の合計資産は、パンデミックの間に5400億ドル増加した。
 この「5400億ドル」とは、今現在の円換算でいうと「約59兆5106億8988万3183円」、つまり約60兆円をコロナ禍で儲けたということ。この金額で、全世界にワクチンが供給できるという。
 下世話なことだが、これだけ個人に入ったお金は、いったいどのように、何に使われているのだろう。

大富豪たちよ、宇宙旅行より地球の飢餓を救ってください

飢餓の状態にある女の子(Dr. Lyle Conrad, Public domain, via Wikimedia Commons)

 去る7月11日、ヴァージン・グループ創業者大富豪、リチャード・ブランソン氏(70)が初めての宇宙空間と無重力などを体験した時、「私はかつて星を見上げて夢見る子どもだった。今は宇宙船から美しい地球を見下ろす大人だ」とコメントし、地上に戻って孫を抱き、「われわれは全ての人にとって宇宙をより身近に感じてもらえる段階に達した。ようこそ新たな宇宙の時代へ」という挨拶をした。
 このヴァージン・グループ社は2022年初めの商業運航開始を目指して、宇宙旅行の料金は1席当たり約25万ドル(約2750万円)と公表すると、すでに約600人が予約している。

 もう一人の大富豪米アマゾン・ドット・コム最高経営責任者(CEO)のジェフ・ベゾス氏(57)は20日、テキサス州で自社開発したロケット「ニューシェパード」を打ち上げ、初の有人飛行に成功し、約11分の宇宙旅行を楽しんだ。その宇宙飛行に同乗する一つの席が2800万ドル(約30億円)だという。
 このような大富豪の動向に対して、CNNアメリカ放送では、世界保健機構や世界食糧計画の代表の声明を出した。
 「パンデミックの影響とみられる貧困者の増加で、昨年は世界人口78億の約10分の1、最大で8億1100万人が栄養不足に陥った。
 大富豪の皆さん! 今は宇宙ではなく、地球の救済のために全力を尽くして下さい。ノブレス・オブリージュ(貴族や富裕層の貧困層への富の分配による社会貢献活動)の義務を果たしてください!」

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金持ち貧乏の境遇はどこで決まるの?

『改訂 雨月物語 現代語訳付き』(上田秋成著、鵜月洋翻訳、2006年、角川ソフィア文庫)

 古来から、日本社会には「お金」のことを他人の前で話題にするのは下品で卑しい人間のすること、という社会的通念がある。しかし、生きる上で「お金」に関する知恵があると無いでは、幸不幸に関わる切実で重大な事なのである。
 このような、人間の最も強い関心事について上田秋成は『雨月物語』の第9話で黄金(こがね)の精霊を登場させ、「お金の正体」をズバリ明かしている。
 結論を先に言うと、「金というものは、それを大事にするところに集まり、粗末にするところから去るという、ごく単純な原理で動いているもの。金には金なりの独特の原理が働いていて、世間の道徳、倫理から独立した法則がある」と断言する。
 つまり、金持ち・貧乏の境遇が決まるのは、前世の因縁、天命で片付けようとする見方が支配的だが、お金は「集まるところに集まる」だけのものだという。一見非情に聞こえるが、「黄金の精霊」は、人間にとって時代を超えたお金と道徳倫理の関係の真相、お金には霊があることを知って、上手にお金を使いなさい。そうでなければお金の特に恵まれませんよ、教訓している。

『雨月物語』

上田秋成の肖像(甲賀文麗 (KoKa Bunrei), Public domain, via Wikimedia Commons)

 著者・上田秋成は江戸時代の人で、この本は安永5年(1776)に出版された。秋成は5歳の時に天然痘に罹り、手に重い障害を持っていた。そのためかどうかは知らないが、変人奇人、偏屈者と呼ばれていた。
 『雨月物語』は、中国の怪異談などを基にして、9つの物語で構成され、伝奇小説、怪異小説、翻案小説などと呼ばれている。
 その第五巻の「吉備津の窯」は、岡山市の吉備津神社に現存し、毎年「吉備津の窯でその年の吉凶を占う神事がある。『雨月物語』に触発されて、岡山在住の頃、その行事を観に行ったことがある。秋成の文章の力は凄いもので、その幽玄さを堪能した。

倹約家はケチではなかった

『雨月物語』の「貧福論(ひんぷくろん)」に出てくる銭の霊の挿絵

 「貧福論」の主人公岡佐内は、実在の武士で歴史的大の倹約家として知られる岡野定俊。会津若松の蒲生氏郷に仕え、のちに上杉氏などに仕えた武士。その倹約振りは有名で、秋成はこの人物を黄金の精霊と論争させるに打ってつけと思い、物語を作ったのであろう。
 本編は、日頃、倹約を厳しく実践している岡左内に感心した黄金の精霊が、夜中に枕もとに仮の姿を現すところから始まる。
    ○○
 佐内は高給取りで名誉もあるが、同時に金使いに頑固で、お金への執着は尋常ではない。倹約を家訓として励んだおかげで、年毎に富み栄えるようになった。且つ、武芸の鍛錬の合間にも贅沢な趣味を避け、一間の畳の上に莫大な金を敷き並べて、それを眺めては心を慰めていた。
 それは彼にとって、世間の人が月花の遊びをするのと同じことである。人々は佐内のそのような振舞いについて、ドケチで下衆根性な奴と、陰口を叩く。
 ところが佐内はある日、長く奉公している下男が金貨を一枚隠し持っていることを聞いた。そこで男を呼んで言った。「人は、立派な剱やら、財宝やらが必要だ。とはいえ良剣でも千人の敵を倒せない。ところが金の徳は天下を従えることができる。卑しい身分のお前が過ぎた財を大事にしているのは感心なことだ。褒めてやる」と言って、十両の金を与え、帯刀を許して召し使った。
 人々はこれを聞いて、左内が強欲だけではなく、仁徳もあると噂するようになった。
    ○○
 その夜、左内は枕もとに人の気配を感じて目を覚ました。すると灯の下に、小さな翁が笑みを含んで座っている。
 翁は「佐内様、私はあなたが大事にしている黄金の精です。常に私を大事にしてくれるのが嬉しくて、夜話をしたくて参りました。あなたが今日、家来を褒めた事は感心しました。何故か。あなたは金持ちだが人徳があることが分かったからです。世間は、金持ちは皆、心が邪悪であるといいますからね」

金持ちになる秘訣は仕事に励むこと

 「先ずは仕事に励みなさい。百姓は穀物の生産にはげみ、工匠等はこれを助け、商人はこれを流通させる。各々自分の仕事にはげみ家を興し、先祖を敬い、子孫の繁栄を願う。それ以外に人のなすべきことが他にありますか。諺にもいうとおり、千金を持ったものは野垂れ死にせず、富貴の人は王者と楽しみを同じくする。まことに、淵が深ければ魚がよく遊び、山が高ければ獣がよく育つのは、天のことわりというものです」

金持ちは無慈悲で残酷

 左内はその話を聞いて身を乗り出した。
 「たしかにそれは、私が日頃思っていることです。しかし、内心、疑問に思うことがある…今の世に富めるものは十の内、八までが無慈悲で残酷な者です。十分な貯えがありながら、兄弟一族はじめ、昔から仕えている貧しい者を救うことをしない。
 隣人が落ちぶれると、その屋敷・田畑を安く買い叩き、強引に自分のものにする。長になると、昔、人から借りたものを返さず、礼儀ある人が席を譲るとその人を奴隷のように見下し、たまたま旧友が寒暑の見舞に来ると、金・物を借りにきたのかと疑い、居留守をつかう輩を随分見て、知っています」

勤勉正直なのにお金は無い

 「また、主君に忠義を尽くし、父母に孝行し、尊きを尊び、卑しきを助ける心がけの正直者には、寒くても布団一枚しかなく、夏の暑さにも着たきりで着替えもない。豊作の年にも朝夕一膳の粥で満足する。このような人は友達も訪ねて来ず、兄弟親族でさえ〝貧乏人〟呼ばわりをして付き合わない。だがそれを怨むこともなく、汲々として一生を終える。
 その人は朝早く起き、夜遅く寝て、正直・勤勉に働くが、一向にゆとりがない。愚かでもないのに、努力してもなかなか成功しない。これらの人は、少しの贅沢も知らずに一生を終わるのです。世間では、これを前世の因縁といい、天命といいます。では、現世に善行を積めば来世に報われるでしょうか。詳しく教えてください」

自分が積んだ徳の報いを自分に期待しない

 お金の精霊は次のように答える。
 「富貴は前世の行いがよかった報い、貧賤は悪かったことの報いと言うのは、人をたぶらかすエセ宗教が口にすることです。貧富を問わず、ひたすら善を積む人は、自分自身が豊かにならずとも、子孫が必ず幸福になる。『先祖を大事に敬えば子孫は繁栄する』というのは、もっともなことです。自分で積んだ善の報いが自分に来るのを期待するのは間違った考え方です」

お金は集まるところに集まる

 「私、黄金の精は、神でもなければ仏でもない。もともと非情のものであるから人間とは異なった考えがあります。昔から富み栄えた人は、『天が下す時』に叶い、『地の利』を弁えて、金儲けに励み金持ちとなった。巧みなものはよく金を集め、下手なものは瓦が壊れるよりたやすく金を失う、ということです。これは天の法則にかなったことで、宝が集まるのも自然のことです。
 ただ、金はあるが怠け者、傲慢で愚か者には、宝の山もすぐに食い尽くされるのも道理です。
 金持ちが善行するときには次のことに気を付けてください。理由もなく自己満足で恵み施すことは相手を救うことにならない。悪事と知っていながら情けをかけたり、不義を助けたりする。このように善行をしているつもりの見栄で使う財はすぐに無くなります。
 これらは、金の効用を知って、金の徳を知らず、金を軽く扱った結果です。
 また、ケチな人は、金銀を見ると親のように大切にし、食うべきものも食わず、着るべきものも着ず、大事な命も惜しまず、寝ても覚めても金銀のことを忘れないので、そこに金銀が集まってくるのは当たり前のこと。
 しかし、ケチと倹約はおのずと違います。お金への執着心から周囲を不幸にするような人の道を外すと地獄行き。これも当然の成り行きです」
 「善を教え、悪を罰するのは、天、神、仏です。この三つは道です。私のような者の及ぶところではない。そして、金にも霊があることも言っておきましょう。人間の霊とは違いますがね…。」

私(お金)は賢人が羨ましい

 「また、身の行いも正しく、人にも誠実でありながら、貧窮して苦しむ人の一生は、金持ちになることは無いということです。だからこそ、それを悟った賢人は、益あれば求め、益なければ求めず、気の赴くままに山林に逃れて一生を終わったのです。私(お金)はそういう人は、心の中がどんなにさっぱりしているかと、心から羨ましく思うのです。
 ですから、世の道理と金の原理を心得た金持ちが倹約を守り、無駄を省くように努めれば、自然に家も栄え、人にも恵まれるというものです」
 繰り返し、「お金は人間の倫理から独立し、私ども、お金の仲間たちは集まるところに溜まるのです。が…」としつつも、次のようにきっちりトドメの一言を吐いた。
 「先に、お金には精霊があるといいました。お金の徳を知らず、軽んじたり、ドブに捨てると大変なことになりますよ。肝に銘じてくださいね」
 以上、「黄金の精」の教訓を紹介した。
 それは、当然と言えば当然の事を述べているようだけれど、時折読み返すと、はっと覚醒させられる。さて「兆万長者」たちの〝お金の徳〟はどの程度でしょうか?
 江戸時代の物語とはいえ、お金の真実を教えてくれる興味深い話である。
【参考文献】
「改訂雨月物語・現代語訳付き 上田秋成 鵜月洋・訳注」KADOKAWA