キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (9)

 大和民族のキノコへの執念は、所変われど旺盛と理解しました。昔々、カンピーナスの東山農場では、松茸の人工栽培に挑戦されましたが、ブラジルで松茸を人工繁殖させる生態のメカニズムの究明は未解決のようです。

マッシュルーム編
 〈はじめに〉マッシュルームは古代ローマ時代から馬の厩肥に自然発生し姿形、食感、芳醇な味で上流階級の高級食材として珍重されました。1650年頃には寒冷多雨のフランスやイギリスの栽培用菌床堆肥の材料となる草類が入手可能な地域で、マッシュルームは人工栽培されました。
 その経緯は温暖乾燥の南欧から導入したメロンの温床栽培の熱源には厩肥の発酵熱を利用し、その厩肥に発生したハラタケ類に、マッシュルームが共生していたのが栽培に至る動機でした。
 日本では1904年にキノコの人工栽培の先駆者森本彦三郎は、和歌山中学校を卒業した18歳の時、英語が得意でアメリカに憧れ渡米し、働いた食堂でマッシュルームを知り、栽培に興味を抱き栽培法を勉強して1912年自力で人工栽培に成功しました。
 後にアメリカ各地で実習しフランスに渡り、菌類学者Dr.Constantin や Dr.Hardingより胞子培養法を習得し、1921年帰国後、京都に森本農園を設立しキノコ栽培と種菌作り、及び缶詰加工を自営しました。
 翌1922年にマッシュルームは「西洋松茸」として日本で最初に販売されました。世間では厩肥に生えるキノコを栽培する変人と見做されていたようです。1928年にホダ木を必要としないオガクズでの人工栽培法を考案し、季節も場所も問わずに大量発生を可能にしました。
 一方、後継者の栽培研修制度を設立しキノコ産業の発展に貢献しましたが、1949年菌舎で作業中、踏み板を外し不慮の事故死を遂げました。享年63歳。(森の妖精、吉見昭一著) 
 これより、ブラジルのマッシュルーム栽培業界の栄枯盛衰の赤裸々な史実を、独自の判断で胎動期、揺籃期、隆盛期、衰退期に区分し、更に年代順に列挙します。    
■胎動期:1935〜61年
 古本は試行錯誤10年にして商業的人工栽培に成功。
*)1935年;ブラジルのキノコ栽培の先駆者古本隆寿は、19歳でブラジルに移民した。
*)1940年;サンパウロ近郊の日伯農事協会の試験場で、古本が主宰する日系人組織による最初のマッシュルームの試験栽培が行われたが失敗した。(談)
*)同年頃;ブラジルに於ける食材としてのキノコは、ヨーロッパ系の有産階級移民が望郷の念に駆られ、美容と健康に有効成分をもたらす高級食材として、マッシュルームの種菌や菌床堆肥をヨーロッパから取り寄せては、時折、僅かばかり発生するキノコに一喜一憂していた。
*)同年頃;サンパウロで唯一の種菌販売店は、サンフランシスコ広場のデイエルベルグ商会で、種菌は全てヨーロッパ産で高価だったが、多くが栽培に失敗した。
 推測されるその理由として、
(1)種菌は赤道を越す長途の船便で、低温設備が無く種菌は雑菌に汚染され劣化していた。