《記者コラム》ネット時代、日本語教育界に危機=オンライン授業と対面は共存できる?

テクノロジーの急激な進歩に翻弄され

 《「チルチルミチルの青い鳥」の話を挙げるまでもなく、本当に必要なものはすでに手元にあるのかもしれない。
 多くの日本人会や文協では、手間やお金のかかる日本語学校運営に音を上げて閉鎖している。確かに学校の維持には手間がかかる、先生の給料を確保するだけで大変だ。
 でも移民百周年を3年前に終え、次の110周年、いや150周年を考えたとき、日本語学校の存在は考え直すに値するものだと判ってきた。
 このシンポジウムで何人もの識者が指摘している通り、日本語教育は日系社会の後継者育成のためだけの存在ではなくなっている。昔のような「日本人を作るための教育」ではもちろんない。
 文協や地域日系団体の将来の後継者を作ることはもちろんだが、日系人としての特性を持って一般社会に貢献できる能力を身につける場、多文化受容を幼いころから脳に刻むための場としても注目されてきている》
 これは10年前、本紙2011年新年号《【樹海拡大版】150年祭への切り札=日語学校は「青い鳥」》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2011/110101-71colonia.html)の冒頭部分だ。その大事な日本語学校がパンデミックにより大変な激動期に直面している。ほっておけば3割は閉校するとコラム子は見ていた。
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 そんな時、高齢の現役日本語教師が、泣きそうな声で電話してきたので驚いた。
 その内容を一言に要約すると、「ユーチューブで日本語や日本文化の講義を始める人たちが現れて、生徒も先生もどんどん奪われていく。今まで私達が長い年月をかけて築き上げてきたやり方が、ぜんぶ壊されていく。学校経営の土台が一から崩れている。どうしたら良いか分からない」というものだった。

オンライン日本語学習という〝黒船〟

ユーチューブ「123 Japonês」チャンネル(https://www.youtube.com/c/123Japon%C3%AAs/featured)

 ブラジル日本語教育界にとって、これは相当切実な問題だ。どんなユーチューブチャンネルかといえば、《123Japones》(https://www.youtube.com/channel/UCY90WSTGXGkhZ7ewHQUfodA)のようなオンライン日本語講座のことだという。
 見てみるとチャンネル登録者は13万9千人もいる。開設されたのは2018年と最近で、最初の配信映像は2019年2月。中心人物は2人、ブラジル生活約30年のミツコさん、ブラジル生まれで日本育ちのモトコさん。日本語や日本文化に関する配信をポ語で行っているのが特徴だ。
 初回のコンセプト紹介映像では、日系子孫で日本語を学びたい人、ブラジルで生まれ育ってから日本に渡って日本語が必要になった人、日本文化愛好者などを対象に始めたと紹介されている。
 最初は単発テーマで「色」「数字」「挨拶」などを説明する動画だった。初回から6万2千回試聴、いいね7559回とかなり反響があった。その後、元USP日本文化研究所所長の鈴木妙氏らも中心メンバーに加わり、漫画やYOSAKOIソーランの専門家なども呼んで話を発表してもらうなど、多彩な内容の動画があげられている。
 同チャンネルは19年10月から日本語無料講座の第1回「ひらがな」(https://youtu.be/C3Cn3G4ia00)を開始した。これは11分ほどの入門編で、試聴回数78万5千回、いいね7万2千回という驚異的な数字を記録している。日本語教育にはこれだけのポテンシャルがあることが分かる意味で興味深い数字だ。
 そこまでの取り組みがあったことに加え、昨年3月からのパンデミックで一気に視聴者が増え、配信もどんどん充実したようだ。このユーチューブやインスタグラムなどで日本語への関心を煽り、さらに学びたい人には《curso Japonês Essencial!》という8カ月間の有料の日本語講座にメールで申し込んでもらう仕組みになっている。
 件の日本語教師は「我々の学校ではN5を習得するのに2年半かかるが、このコースでは1年8カ月で修了する。しかも値段もこっちの方が安い。そのうちN4のコースも始めるのでは」と頭を抱える。オンライン学習では地域を問わず、どこからでも生徒を集められる。

日本側オンライン講座との競合の時代に

 だが、その種の日本語オンライン講座は沢山たくさんある。国際交流基金なども無料日本語オンライン講座を運営している。例えば外国人向け日本語オンライン講座《エリンが挑戦! にほんごできます》(https://www.erin.jpf.go.jp/)では、外国人生徒が日本の学校に編入したという設定で、場面場面をミニドラマで見せながら学ぶもの。PDF教材もダウンロードできる。
 同基金では「日本語学習教材」(https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/education/resource/)として公開しているので、これを教材として授業に使ってほしいという意図のようだ。
 さらに同基金には《JFにほんごeラーニングみなと》(https://minato-jf.jp/)という7言語(日本語、英語、スペイン語、中国語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語)の無料日本語学習コースがある。
 加えて、この8月にブラジル人向けのコース(https://minato-jf.jp/CourseDetail/Index/SP21_MGRT_A101_PT01)の募集が始まっている。対象は、ブラジル在住のポ語話者、日本語を学習したことがない18歳以上となっている。

さくらネットワーク・システム共同組合による日本語オンライン学習サイト

 ネット検索をすると、日本国内の日本語学校がこぞってオンライン授業を始めている。《さくらネットワーク・システム共同組合による日本語オンライン学習》(https://www.sakuranetwork.com/overseas/online/)は外国人技能実習機構、厚生労働省、出入国在留管理庁、国際研修協力機構、法務省も関係して設立したもので、外国人技能実習生、特定技能制度で訪日した外国人に向けた本格的なものだ。
 この種のものは多く、《技能実習生のためのオンライン日本語教室》(https://musubiba.life/)では月8回5940円で実施している。
 つまり日本では技能実習生や特定技能などの制度を利用して外国人労働者が多数入っていることから、この種の民間のオンライン日本語学校が雨後の竹の子のごとく生まれている状況だ。
 インターネット時代に入ったことで、ブラジル国内のオンライン教育の取り組みだけでなく、日本にある最先端の民間日本語学校と真っ正面から競争する時代に入った。ブラジル国内の日本語教育界も、世界レベルの競争の波に突入した。

対面授業の利点強調しつつも「使い分け」の時代

ブラジル日本語センターの日下野良武理事長

 コラム子には日本語教育の知見が少ないので、専門家2氏に意見を尋ねてみた。ブラジル日本語センターの日下野良武理事長と、海外日系人協会の業務部長で、日本語教育に関する講演をしている水上貴雄さんだ。
 まず日下野さんは《私の父は国語教師として一生を終えました。毎年、正月には担任の生徒が10人ほど我が家を訪問していましたが、オヤジは煎餅をかじりながら生徒の肩をたたいて、「みんな、よく来てくれたなぁ」と涙をこぼしていたのが忘れられません。教育の場の神髄が凝縮されたような場面でしたが、予想もしなかったコロナ災禍で人間関係の温か味は断ち切られています》とし、外国語を教える技術以前に、教育としての側面を重要視する。
 だから《対面授業とオンライン授業には大きな違いがあると考えます。教師と生徒が直接会って会話するのと画面上での会話では大きな違いがあり、肩をたたきながら、目を見て抱擁しながら教える者と教えられる者との間には、温かい目に見えないが空気が漂っています。
 これを私は「気」と考えます。元気の気、気持ちの気、雰囲気の気、気合の気などは目には見えず掴むこともできないものですが、人間が相対する時には心に感得できます。これは平面の画像では感じられないでしょう》と説く。
 聖州では8月から学校の対面授業が復活した。これからパンデミックが収まっていくに従い、どんどん対面授業が戻る方向にある。だからといって、パンデミック以前と同じことを繰り返せば良い訳ではないようだ。
 《対面授業とオンライン授業を状況に合わせてうまく使い分け、時代の趨勢に鑑みてうまく乗り切るしかありません。若手教師はベテランの先生に生徒を引き付ける教え方を習い、高齢教師も時代の流れに相応する努力が必要で、若手教師からパソコン操作を学ぶ謙虚な姿勢も持たなければならないでしょう。年代を越えて相互に理解し合う良い機会だと捉えたいです。
 このパンデミックで世界中の人間がそれぞれの職場で新しい方策を見つけなければ生き延びられません。厳しい現実であり、我々日本語教育界にも与えられた大きな課題でもあるかのように思います》と重く考えている。つまり「パソコン操作を学ぶ謙虚な姿勢」は必須のようだ。

危機乗り越えるため〝広い視野のパートナー〟を

海外日系人協会の業務部長の水上貴雄さん

 水上貴雄さんは、まず現状認識として《パンデミックのあるなしにかかわらず、ブラジルの日本語教育界、特に文協経営の日本語学校は「持続可能性」という観点でいうと非常に厳しい状況であったと認識しています。
 今のままでは持続することが難しいのであれば、連続的なイノベーションではなく、非連続的、破壊的なイノベーションを技術革新等で起こす必要がありました。その一つがオンラインによる授業で、もう少し先かなと思っていたところにパンデミックが起こり、急激に広まってしまった》と見ている。
 水上さんは日本語教育界への危機はオンラインだけではないと考えている。《例えば、野村総合研究所が『NRI未来年表2021~2100』というものを出しています。この中の政治・社会の項目を見ると「2030年 ビジネス・国際会議等でのシビアな交渉にも使えるAI同時通訳が実現[総務省」という記載があります。これが本当に実現したら、もはや、日本語に限らず「外国語」を勉強する必要はあるのでしょうか。このような世界が訪れたとき日本語学校は不要になってしまうのでしょうか》とし、AI技術の進歩にも危機感を持っている。
 《このような話をすると、さらに気持ちが暗くなる日本語教育関係者がいらっしゃるかもしれませんが、僕はこんな時代が来ても日本語学校には果たすべき使命があると考えています。それは実はみなさん、既にやっていると思います。ブラジルと日本双方のよいところを持った社会貢献に資する人材の育成です》。
 さらに《これだけオンラインの時代が進むと何となくICT(情報通信技術)を活用した授業を展開する学校やICTリテラシーの高い教師だけが生き残れるという感じがします。確かにそれも一つの要因ではあると思いますが、必ずしも全ての学校や教師がそうである必要はないと考えています》。「日本語を教える技術」だけでなく、「教育者としての人格」が問われるという部分かもしれない。
 日本語でも〝教育〟という部分が、これからむしろ大事になるという部分では、日下野さんと共通する考え方だ。
 その上で、時代の趨勢として《オンラインから逃げることはもうできません》という。ただし、それは万能ではなく、その限界を感じている人も出てきていると論じる。
 《パンデミックが収まっていない現状では人に会うことや移動が制限され、何となくオンライン優位といった感じがしますが、パンデミックが終息してしばらくは、人と会う機会を渇望している人が多いでしょうから、対面授業に人が流れ、しばらくするとやっぱりオンラインの方がよいかということでオンライン授業の方に再び人が流れ、やがて落ち着くところに落ち着くのではないかと考えています》
 今からその〝落としどころ〟をある程度、想定しておきたいところだ。
 《同じ授業を対面で受けている人とオンラインで受けている人がいたり、授業の内容によって対面で行ったり、オンラインで行ったりという両方のいいとこどり、みたいな形で授業が行われていき、共存してくことになるのだと思います。
 ここで「鍵」になるのはパートナーシップという考え方です。ニーズが多様化している中で、学習者の全てのニーズに応えることができる先生、あるいは学校というのはいないし、存在しないでしょう。だからお互いがないものを補いながら多様なニーズに応えていく学校づくりを単独でなく、パートナーシップを構築して実現するという考え方が重要になるのではないかと感じています》という。
 生徒の側の心理として《無料のものを見続けて学習を継続するという人は、なかなかのモチベーションの持ち主しかいないのではないでしょうか。と考えると、これらのコンテンツは競争相手と捉えるよりは日本語学習者の裾野を広げる優良な広報コンテンツと捉え、このあと真の学習者として学校にいかに引き込むかが知恵の出しどころのように思います》と逆手にとった発想をする。
 日本の日本語学校との競争という大きな構図で考えた場合、多くのブラジル人日本語学習者を集めている《123Japones》などは、むしろ援軍だ。試聴回数78万5千回という動画があるということは、明らかに学習者の裾野を広げてくれている。
 《そのような観点で考えると、よりよいパートナーシップを構築できる学校あるいは日本語教師が、これからの時代を生き残ることができる学校、教師と言えると思います。
 それは何も日本語学校同士、日本語教師同士だけではありません。広い視野でパートナーを考えることが重要です。
 日本から見ていて、ブラジルの日本語教育界はその下地は存在していると感じています。来る未来に対応するためのリソース(人材資源)も持っています。あとはそれを時代にあわせて活用できるように創り変えるだけであると考えています》と締めくくった。

「ブラジル日本語協議会」も選択肢のうち

東京五輪応援の動画を制作した日本語学校の皆さん(パンデミック前、本紙2020年1月9日付)

 水上さんがいう〝広い視野でのパートナー〟がキーワードかもしれない。《123Japones》と手を組んで日本語センターの存在をPRしてもらうなどお互いにメリットになる方策を考えるとか、日本語センターやその有志が中心になって日本語教育PRチャンネルを作り、各地の日本語学校のPRや日本文化のトピックスのようなものを発信するのも選択肢かもしれない。
 《123Japones》の方向性から見えてくるのは「日本語教育は立派なビジネスになる」という可能性だ。日本政府の支援を前提に手弁当やボランディアでやることではなく、努力しただけの評価と報酬が得られる商売になれるかもしれない。これは悪いことではない。
 ブラジル日本語教育界の対策としては、よりニッチな市場(隙間市場)に向けた生き残り策をとる必要に迫られるのではないか。日本初の世界に向けた日本語教育ではなく、ブラジルの日系人、ブラジル人に特化した教材や教授法などを深掘りする方向性が考えられそうだ。
 振り返れば2003~05年頃、日系団体や大学、商工会議所、聖州・パラナ州政府などの代表者らが参加する「日本語協議会」が何度か開催されていた。今こそそのような取り組みが必要な時代かもしれない。(深)