ヒト街点描=山田大使に東洋街再開発計画案を紹介する山本副会長

 リベルダーデ文化福祉協会の山本玉喜副会長(69、二世)の両親は、日本から蒟蒻の原料を輸入し、サンパウロ市ジャバクアラ区で製造、日本料理屋などに卸す仕事をしていた。その手伝いで山本副会長も子供の頃からリベルダーデを頻繁に訪れていた。
 サンパウロ証券取引所に勤めた後、名古屋大学へ留学。帰国後、29歳でリベルダーデ区グロリア街に、ガレリアを開業した。リベルダーデを選んだのは、日系人商店主が多く、協力関係が築きやすいこと、子供の頃から街に馴染みがあり、愛着があったから。
 ガレリア経営の理由は留学中に秋葉原で見た複数の小規模店が、1つのフロアを分割共有することで家賃を抑える営業形態が、地価の高い都心での経済活動に適しており、当地でも応用可能だと考えたからだ。
 その後、ガレリア業から人材派遣業へ転換。さらに飲食業へ転換し、現在の日本食レストラン「Kisetsu」(R. da Glória, 234)を経営するに至った。業種は変わったが40年間リベルダーデで生きてきた。
 「子供の頃のリベルダーデは綺麗で活気があって誇らしい街だった。どんなものでも手入れしてやらなければ駄目になる。再開発計画はまだまだ前途多難。だけれど愛する街のためにも必ずやりぬいてみせます」と語った。(石)