《記者コラム》ブラジルで高評価の日系人=なぜ日本では違うのか

「⼊管法改正30年を超えての日本での日系人労働者問題」を講演する林隆春さん。9月1日(日本時間7時から8時10分)に再配信される。申し込みはサイト(https://www.jica.go.jp/information/seminar/2021/20210719_01.html)から。

 いつも不思議に思っている。どうして日本とブラジルで、日系人に対する評価がこんなに対照的なのかと。
 今回それを痛感したのは、わずか12時間の間にJICAが主催して二つのオンライン・セミナーが行われたからだ。
 一つ目はブラジル時間8月26日午後7時から行われた「多文化共生・日本社会を考える」連続シリーズの第1回「入管法改正30年を超えての日本での日系人労働者問題」。人材ビジネスを手がける林隆春さん(株式会社アバンセコーポレーション創業者、愛知県一宮市所在)が講演者だ。
 ここでは、日本の産業社会の〝雇用の調整弁〟として重宝されてきた在日ブラジル人は、日本社会から「移民」や「定住者」扱いをされずに30年以上も過ごす中で高齢化が進み、子弟教育にも問題が生じてしまったという日系人の姿が浮き彫りにされた。
 二つ目はJICA横浜の海外移住資料館が同27日午前7時半から開催した講演会《世界最大の日系人コミュニティの実像~440ヵ所のリアルボイス~》の第2回「アマゾンから雪降る町まで、4000キロを貫く日系魂」だ。サンパウロ人文科学研究所の細川多美子さんが講演した。
 こちらでは、日本移民はブラジルで一般社会に統合しながら、日本文化を現地馴化させた日系文化を今も色濃く残す日系人の姿を描いた。多文化共生のモデル的な存在として認知され、敬意を持って扱われて高く評価されているという結論だった。
 どちらも同じ日系人とその家族のはずだが、住む国というか、置かれた状況によって問題児にも優等生にもなる。どちらの講演も大変興味深い内容だったが、対比しながら聞くとさらに感慨深いものがあった。

国際共同墓とリスタート・センターの取り組み

 一つ目の林さんは1985年に初訪伯し、翌年から一世の日本呼び寄せビジネスを始めたパイオニアだ。ハイパーインフレに苦しむブラジル経済からバブル期の日本に働きに行きたい希望者の橋渡し役を担った。
 入管法改正前には日本国籍を持つ一世を中心に数千人から1万人を呼び、その世代が今日本で70代を迎えて、お墓をどうするかという課題が生まれた。その解決策として林さんは今年、八王子に外国人も納骨できる国際共同墓を作った。
 林さんの見るところ、2008年のリーマンショック後に日本政府が帰国する南米日系人に30万円などの帰国給付金を出して返したことにより、日本側コミュニティの指導者人材が帰国してしまったという。
 その結果、日本側コミュニティのまとめ役や地元日本社会との仲介役がいなくなった。「今はほとんどリーダーがいない。烏合の衆になってしまった。派遣会社の通訳すらいなくなって困ったぐらい」と嘆く。
 その解決策として林さんは、昨年6月に群馬県大泉町に「リスタート・コミュニティー支援センター」を開設し、在日ブラジル人同士が助け合う仕組みを育てようとしている。

リーマンでは9割解雇、コロナ禍は「生殺し」

知立団地アンケート調査

 1990年に入管法が改正されて、二世・三世が合法就労できるようになり、一気にブームになった。それからもう31年が過ぎた。
 林さんは「日本社会は常に彼らを『一時的な出稼ぎ』だと捉えて、彼らを社会に根付かせ、包み込むような政策をとらなかった。いつも一時的な労働力として見て、定住者として扱わなかった」と残念そうに語る。
 中でも「リーマンショック(2008年)の時は一時的にブラジル人が90%失業する事態になった」と驚きの数字を挙げた。日本人労働者にそんな仕打ちはできないが、外国人は〝雇用の調整弁〟だから便利に扱われる。
 今回のパンデミックでも大量の解雇があったが、リーマンの時とは少し違うという。日本海外協会が2020年5月~6月に愛知県の知立団地に住むブラジル人を戸別訪問して調べたところ「生殺し」状態になっていることが分かった。
 1週間当たりの勤務日数「5日間」が5月に46・8%だったのが6月には29・6%に下がり、逆に4日間が8・7%から18・7%に、3日間が13・3%から15・2%に、0日は26・7%から29・2%に上昇していた。
 つまり、クビよりも、どんどん勤務日数を減らされていた。週に2~4日間しか働いてない人が5月には25%だったのが、40%に増えた。リーマンの時は一気に解雇して社会問題になった。だから今回はクビにはしないが、生活できない水準まで労働日数を減らしてまさに「生殺し」の状態にされた。

在日ブラジル人が抱える精神的な問題

某国際センターへの相談

 さらに林さん、リーマンショックの直後の2010年4月から10月の7カ月間、ある県の国際センターであったブラジル人の精神的問題の相談内容についての集計結果を紹介した。
 7カ月の間に704人が精神的な問題に関して相談に訪れた。その中で、幼少年から青年(0~29歳)にかけての層が、なんと73%を占めていた。
 しかも、相談内容の最多が「学習障害・自閉症・子どものうつ病・発達障害・アスペルガー症候群」で197人(約28%)となっていた。この年代の層が日本で適正な教育を受けられなかった結果、何らかの精神的な影響が生まれた可能性を示唆する内容だ。
 親が残業ばかりで子供の面倒を見ず、いずれブラジルに帰るからと子どもを日本の公立校に通わせることにも熱心でない場合、子どもは何の教育も受けないまま大事な幼年期や10代の人格形成期を過ごすことになる。
 林さんは「日本は外国人の教育を義務化しなかったから、日本で育ったような若い人で、日本語で自分の履歴書が書けないのがどれだけ多いか。派遣会社に面接に来るブラジル人の中にも精神面に違和感がある人がかなりいる」と指摘し、「とくにリーマンショックの後に現れてきた」と感じている。

30年経っても「定住者」扱いされない現実

 加えて在日ブラジル人が高齢化して、年金問題が深刻になってきていると訴える。もともと工場が経費削減のために日系人労働者を働かせていたから、会社側に負担のある社会保険や厚生年金制度から見放されていたが、人権意識の高まりで今は外国人の社会保険加入率が上がっている。
 とくにリーマンショックの後は、日系人の70~80%が社会保険や厚生年金を納めるようになった。
 だがブーム初期に訪日した在日ブラジル人はすでに50~60代になって肉体的価値の低い労働者になっており、「オンコールワーカー(事業主の求めに応じて不定期に短時間就労する契約労働者)として社会保険の狭間で生きていかざるを得ないのが現状」という。
 だから「圧倒的多数の厚生年金納付期間10年未満の人たちの老後をどう支えるか」という重い課題が浮上している。
 日本社会側では元々は、日系人労働者は数年働いてお金を稼いだら母国に帰るから社会的なコストが少なくて済むと考えられていた。だが実際には在日30年組がゴロゴロいる。だが、30年住んでいても外国人は「定住者」として扱われない。国連基準からすればとっくに「移民」だ。
 そんな林さんの話を聞いていて、なるほど思った。いま日本にいる在日ブラジル人の多くは日本で子供を育て、そのまま永住する。それでも「一時的な出稼ぎ」としての社会的地位しか与えず、「定住者」という扱いにはならないのは、やはりオカシイ。
 気が利く日系人はさっさと帰化して日本国籍になっている。だが、それでは日本人が大好きな言葉「多文化共生」といえるのか。単なる同化政策ではないか。見て見ぬふりをしていないか。

「受け入れられるまで、あと二、三世代かかる」

 林さんは「あと二世代、三世代しないと、日本社会には受け入れられないのでは」と講演の中で繰り返したが、その通りだ。
 伯国でも移住開始した1908年から1960年頃までの半世紀以上、日本移民は同化しないという「黄禍論」を唱えるブラジル人エリート層が数多く存在し、日系人は差別迫害を受けてきた。
 終戦直後には勝ち負け抗争が起き、聖州オズワルド・クルース市では4日間も町ぐるみで日本移民排斥騒乱が起きるような事件まで起きた。
 だから戦後初の1946年憲法を作るための制憲議会では、「日本移民の入国を一切禁止する」という条項を入れられそうになった。それを承認するかどうかの投票でなんと99票の同数となり、最後に議長が反対票を入れたから否決された。首の皮一枚だ。
 その議長はもともと日本移民反対派だったが、「自分の国の憲法に、特定の人種を差別するような内容を盛り込むことには反対」という意味で、反対票を入れた。何が言いたいかといえば、当時のブラジル社会における日本移民への評価は、現在の日本社会におけるブラジル人へのそれに比較できないぐらい酷かったということだ。
 でも戦後、一世がブラジルに骨を埋めることを決意し、二世に教育を受けさせて社会上昇させる戦略をとり、二世層が自らの優秀さで社会的な地位を勝ち取って来た結果が現在の好評価につながっている。最初からそうだったわけではない。
 日本ではまだ30年しか経っていない。いまの在日二世世代が大学や専門学校を卒業し、独自の存在感や優秀さを発揮して、日本社会の中で認められる過程の真っ最中だ。ブラジルにたとえれば1938年頃のようやくUSPに日系学生が入学し始めた頃か。
 在日二世らが実績を積み、社会から認められて、それなりの地位に着くまでには、これから20~30年はかかる。だが、そのような人材は確実に育ちつつある。気長に待つしかない。
 その間、日本社会側として重要なことは外国人子弟を「定住者」としてしっかりと教育していくことではないかと思う。

子弟教育の重要性

 ブラジル日本移民史の中に、日本でも応用できることがある。
 ポ語版『ブラジル日本移民八十年史』(移民八十年史編纂委員会、1991年、180P)には、聖州立総合大学(USP)の文化人類学の大御所エゴン・シャーデン教授の次の意見が引用されている。当時の日本人移民の二世に対する、ブラジル社会の権威側からの見方だ。
 「学習や読書に高い価値をおくことや、子弟教育への強い配慮などの日本文化の伝統的特性により、日本人移民は、いずれ子弟に高等教育を与えるだろう。その結果、子弟らはブラジル文化に対して敬意を抱くようになる。
 ブラジル社会でのステータスを求め、日本の伝統的文化の価値感を思い起こすほど、学校や読書を通じて、より適当な表現手段(ポルトガル語)に出会い、結果的に日本的伝統を必要としなくなっていく。
 日本移民の同化はいずれ1~2世代の問題だ」
 興味深いことに、このシャーデン教授のコメントは、ポ語版にしか掲載されていない。ポ語版は基本的に日本語版の翻訳だったが、編集責任者の山城ジョゼさんの意向で、幾つか変更がこっそりと行われた。その一つがこの部分だ。
 コラム子が推測するに、山城さんはこのコメントは「一世は知らなくていい」と考え、同時に「二世は知っていた方がいい」と判断したのではないかと思う。
 一世は「ここで骨を埋める以上、日本的に考えて子どもの教育は重要だ」「子供に高い教育を与えていい仕事に就かせて安定した生活を送らせよう」「子どもに社会上昇させよう」と思った。
 だが、親がそう思って大学に行かせることで二世層にはブラジル人としての自覚が高まり、ブラジル社会への忠誠心が芽生えた。つまり、高等教育を受けさせた方が、社会適応が早くなる。
 ブラジル人の権威筋は早くからそのように見ていた。だから二世学生をかわいがった。日本でもそうあってほしい。
 その典型ともいえる人材は、USP工学部教授で日本移民百周年協会の理事長も務めた上原幸啓さん、日系人初の聖州高等裁判所判事にしてブラジル日本文化福祉協会の役員を長年務めている渡部和夫さん、中央銀行理事も務めた横田パウロさんらではないか。
 ブラジルでエリートにまで自力でのし上がった日系人は優秀な人材だ。エリートになるには人一倍、権威に対する忠誠心なくしては達成できない。国の中枢に近いほどブラジル人としての誇りが強くなるのは道理だ。
 その逆もまた真――。
 今後、日本の国益に役に立つようなバイリンガル人材が在日子弟の中から続々と生まれ、独自の貢献をするに違いないと信じる。前述の3人レベルの人材が在日二世世代から多数生まれれば、日本社会からの見る目も変わって来る。

「伯国には日系人だと胸を張れる雰囲気ある」

《世界最大の日系人コミュニティの実像~440ヵ所のリアルボイス~》の細川多美子さん。第3回講演は9月25日(土)日本時間10時から11時、申し込みはサイト(https://forms.office.com/Pages/ResponsePage.aspx?id=Qvyp64hVMU2KTm4b950xwPQUDMrgWyxJvTraxWMO8R5URTRYVlhUWDNMN1Q1NjEyM0cxU0JZOE5IMyQlQCN0PWcu)から。

 二つ目の《世界最大の日系人コミュニティの実像~440ヵ所のリアルボイス~》の中で、細川さんが強調していた「ブラジル社会からの日系コミュニティへの高い評価」は、特に2008年の移民百周年以降、顕著になったと感じる。
 だが、そこまでに100年かかった。90周年まではコミュニティ内の祭典だったが、百周年から一般社会と一緒に祝うスタンスに変わった。一世が激減して二、三世世代が地方日系団体を支える時代になって「Kaikan」という言葉がポ語になった。日系人だけのイベントだった盆踊りがブラジル人も混じって楽しむものに変わった。
 日系人しか食べなかったヤキソバが、今ではブラジル人の大好物に変わった。イベントでヤキソバ販売をする際、一日平均で907食、多い団体ではなんと1万5千食を売り切るというのは、驚きの発表だった。
 細川さんは「ブラジルには『自分は日系人』と胸を張って言える自由な雰囲気がある。日系人であることが肯定的に受け止められる社会的な風土がある」とし、日本文化がブラジル社会で受け入れられると同時に変容して「日系文化」になっていると見ている。
 だが悲しいかな、「日系文化」は日本文化とはすでに異質だ。だから、それをもって日本に行っても「ブラジル文化」と言われるだけだ。

1団体が1回のイベントで販売する数量(最多と最少と平均)

 ブラジルにおいて日本移民は死ぬまで日本人だ。だが二、三世の世代になるとコミュニティは変わる。そうなれば「ブラジル人性」が中心になって、日系人性がチャームポイントとして残る程度の日系文化の状態になる。
 同じ事がいずれ日本でも起きる。
 今はブラジル人性が強い在日ブラジル人一世も、いつかは年をとる。在日二世が日本の教育の中で徐々に馴染んでいけば、二、三世世代が中心を占める時代になれば、日本社会に統合されて「ほぼ日本人」で「ブラジル人性がチャームポイント」として残る様子になっていく。
 林さんが繰り返した「あと二世代、三世代しないと、日本社会には受け入れられないのでは」は真実だと思う。とはいえ入管法改正から31年を経て、在日ブラジル人はすでに日本の近代史の一部に刻まれ始めている。ブラジル人訪日就労100周年を迎える2090年までに、徐々に統合が進めばいい。これはどんな人種にもいえるのではないか。(深)

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