キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (18)

露地栽培のアガリクスを収穫する農夫と野澤

露地栽培のアガリクスを収穫する農夫と野澤

4)古本はキノコの同定に奔走し、ハイネマンより Agaricus blazei murrillとの同定を得た。
5)古本は1972年、アガリクスの人工栽培を世界で初めて成功させた。
6)これよりアガリクスの多岐に及ぶ薬理効果が認証され、天然原料の抗癌剤と生活習慣病の特効サプリメントとして、年商600億円に及ぶ経済効果をもたらす商材の礎を創成した。
*)1965年;古本は菌類図鑑でも検索できないこのキノコの分類学上の所属と名称を知るべく同定を如何にすべきか私に尋ねた。私は往時の移民船が横浜を出港する間際に、上司から餞別代わりに頂き現在に至るも私の蔵書である、キノコの専門書「食用菌譚類とその培養」の著者、岩出亥之助が最高の権威者と思い込み推奨した。
 古本も意中の人だったので岩出研究所とアルゼンチンのブエノスアイレス大学に、名も無いキノコの同定を依頼すべく送付した。
*)アガリクスの呼称;古本はアガリクスのルーツを知らないので、自分が最初に出会った地名に因んで”ピエダーデ“と呼称したが、その他に”アガリクス”や“太陽のキノコ”、日本では“カワリハラタケ“や”姫松茸“として名称は錯綜した。
*)アガリクスは近未来に、往時の栽培と流通の最盛期が再来する兆候は多分に推測される。此れより発見経緯、同定経緯、命名経緯(学名、一般呼称、商品名)その他の関連事項につき相互の情報不備や恣意的、意図的な作為で錯綜しているので、不明瞭な事項等は個々に克明に調査し、当事者間での納得のいく同意を伴う史実の校閲が必要である。
*)1967年;名も無いキノコの同定は岩出研究所では不可能だった。よって同研究所よりベルギーの植物学者ハイネマンに転送され、1969年にハラタケ科ハラタケ属Agaricus blazei murrillと同定された。即ち1944年、アメリカ、フロリダ州ゲンズビルに住む R. W. Blazei が偶然彼の庭先で見付けたキノコは、古本がピエダーデで遭遇した名も無いキノコと同種で、既に「Murrill」と命名されていた。

揺籃期;1972〜79年

 アガリクス人工栽培成功。
*)1972年;古本はタピライの農園サンタモニカでアガリクスの人工栽培に成功した。種菌の培地には小麦を、菌床堆肥は稲藁とバカソを主体とした畝状の菌床に植菌する「畝作」だった。