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伯国政府の人道配慮ビザの現実《下》=聖市のアフガニスタン人に聞く=大浦智子=「義妹と甥の消息が途絶えた」

アフマドさん(右)と父親のハージさん(左から2番目)

アフマドさん(右)と父親のハージさん(左から2番目)

 アフマドさんの弟は、家族呼び寄せでサンパウロに暮らすことができた。だが、その妻と子供は、2017年から4回、パキスタンのブラジル大使館に家族呼び寄せを申請してきたが、書類も手数料も不備がないにもかかわらず、一向に認められないままだった。
 そして8月15日、タリバンがアフガニスタン全土を支配下に置いたと宣言するニュースが世界中で流れた後、アフガニスタンに残されていたアフマドさんの義妹と甥の消息が途絶えた…。
 アフガニスタンにブラジル大使館はなく、9月時点でブラジルの人道ビザを発給できるのはイスラマバード以外に、テヘラン、アンカラ、アブダビ、モスクワという選択肢があった。
 しかし、陸続きのイランに入国するにはビザが必要で、他は陸路では遠すぎて移動ができない。イスラマバードが最も希望を見いだせるブラジル大使館だったが、パキスタンにいたアフガニスタン人たちは、前述の状況に直面した。
 アフマドさんは「このままでは、誰もブラジルには人道ビザで来られません」と、ショックの色を隠せない。
 2年前、アフマドさんに呼び寄せられた父親ハージ・ラヒンさん(50歳)は、携帯電話の映像を見せながら、アフガニスタンで家族全員を失った一人の女性が泣き叫ぶ映像や、男性が顔部分は網状になって外からは顔が見えない白い服で全身を覆う衣装を着ている姿などを見せながら、「自由はない」と重い口調で付け加えた。

有言実行を求めて

 「やると言いながら実行されない」ことは、ブラジルではよくある話と、当地在住者ならうなずける。しかし、今のアフガニスタン情勢では、一刻を争って人道ビザを求める人がいるのは、誰の目にも明らか。ブラジルの「人道ビザ発給宣言」は、期待に反して即座に手放しで喜べるものではなかった。
 一部の人の間では、ブラジル政府に向けてブラジル大使館や総領事館で早急に人道ビザを発給するように働きかけようという動きもあるという。

アフガニスタンの人々がほしいのは平和だけ

 アフマドさん家族は、母語であるダリー語を話す。父親の母語はパシュトー語。他にもウルドゥー語やヒンディー語、英語、そして今はポルトガル語でもコミュニケーションできる。元々、多民族、多言語、多文化で共生してきたのがアフガニスタンだ。
 「私たちは戦いばかりの米国でもタリバンでもなく、平和だけがほしいのです」と語るアフマドさん。
 「郷里の状況が良くなれば帰国したいですか?」との質問に、「そんなのはジョークだ。60年前はイギリス、40年前はソ連、20年前はタリバン、そして今はダイシという新しいグループも出現して戦っている。私たちは親子3世代にわたって良くなったアフガニスタンを見たことがない。これからも良くならないのは明らかだ」
と語気を強めた。

新しい土地サンパウロで

アフマドさんのハラール食肉店の外観

アフマドさんのハラール食肉店の外観

 現在、アフマドさんのハラール食肉店が、サンパウロに約20人いるアフガニスタン人のたまり場になっている。今まではサンパウロに約200人いるパキスタン人のメスキータ(礼拝堂)を共有させてもらってきたが、アフガニスタン人だけのメスキータやNGOを作ることを目指している。
 「アフガニスタンにいる時から、日本で中古車の輸出に携わるパキスタン人の友人から日本の話を聞いて、ブラジルには日本に次ぐ日本人コミュニティがあることを知っていました。今、近所に日本食店もあって、そこのスシも大好きです」と笑みをこぼす。手土産に持って行ったブラジル製日本風クッキーを緑茶と一緒に、「おいしい、おいしい」と喜んで食べてくれた。
 タリバン政権の出方やテロ情勢次第では、出移民や難民の圧力は再び高まる。ブラジル政府が人道ビザ発給の約束を果たすかどうか、少なからず期待する声が高まっている。(終わり)

アフマドさんのハラール食肉店(ハラール肉とは、イスラム教で厳格に定められた屠畜、解体などの方法で処理された肉)

アフマドさんのハラール食肉店(ハラール肉とは、イスラム教で厳格に定められた屠畜、解体などの方法で処理された肉)