Hiroshima Bossa Open Cafe初開催=音楽や料理で広島とブラジルつなぐ=珈琲、移民、平和などテーマに

バックを川にしたブラジルカラーのステージ

バックを川にしたブラジルカラーのステージ

 原爆投下の目標地点となった橋のたもとから、ブラジルを通した新たな平和の形を―。広島市中区の平和公園近くの河岸で3日、新たな国際平和イベント「Hiroshima Bossa Open Cafe」が開かれた。ブラジルと広島のゆかりを背景に、音楽や文化を発信することが目的。市民団体で作る「River Do!基町川辺コンソーシアム」が主催した。広島日伯協会後援。

 移民県と言われた広島からは、笠戸丸移民に始まる多くがブラジルに渡りコーヒー栽培に従事した。大正時代には、戦前の繁華街だった中島本町(現在の平和公園)に「カフェブラジル」があり、人々の憩いの場所でもあった。
 戦前も戦後も人々は珈琲を飲み、ほっとひとときを過ごしていた―。今、日本のカフェと呼ばれる喫茶店で流れる音楽はボサノヴァが多く、人々はその旋律に身を委ねている。
 ボサノヴァといえば、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・デ・モラエスの「イパネマの娘」が有名だが、モラエスには「広島のバラ」という多くのブラジル国民が知っている反戦歌がある。
 そんな両国の様々な繋がりを伝えたいと、一日だけの「オープンカフェ」を展開、広島の新たな風景が出現した。
 会場には、シュラスコやコシンニャ、ムケッカやアサイーを提供する店が並び、広島の地元バンドや歌手がブラジルやボサノヴァをモチーフにしたステージを展開、多くの人が聞き入った。カポエイラの演舞もあり、日伯協会による移民の歴史や交流のパネル展示もあり、立ち止まって読み入る姿もあった。
 「初めて食べたマンジョッカのフライが美味しかった」と会場を訪れた石川華奈さん(45)は、コロナ対策の緊急事態宣言開けのイベントであることに「やはりみんなが集うお祭りはいいですね。次回も来たい。音楽聴きながらのんびりできれば」と話していた。
 企画・実施した主催団体常務理事で、日伯協会理事の堀江剛史さん(よしふみ、46歳)は、本紙記者を長く務めた。2016年に帰国以来、広島の若い世代が平和に対する意識が低いことから、ブラジルを通した新たな伝え方ができないかと模索してきたという。
 「声高に平和を語るのではなく、広島の街の特長である気持ちのいい川辺で音楽に身を委ねてもらい、その背景にも関心がいたれば嬉しい」と話す。以降も継続して開催する予定だという。
 詳しくは公式サイト(http://hiroshimabossa.com)まで。

 

□ヒト町点描□=コーヒーで未来を考えよう

藤井勇也さん

藤井勇也さん

 コーヒーを通じて未来を考えたい―。焙煎師である藤井勇也さん(32)が開発した商品RICO(Rice Coffeeの略、ポルトガル語で「豊かな」の意)が会場に並んだ。
 東広島とサンパウロ州マリリア市が姉妹提携していることに着想を得て、同市の古米とブラジル産の珈琲を同量合わせた代替珈琲だ。
 藤井さんによれば、世界のコーヒーの需要と供給のバランスが崩れたときのため、新たな飲み方が一つの解決手段として考えられるという。
 「地球の声を聞いて生まれたコーヒー」と名付けた藤井さんは、中米の珈琲農園を視察した経験もあり、RICOを通してブラジル移民の歴史も伝えたい考えだという。さて、米と混ぜた味は・・・もちろん名前の通り!