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連載小説

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(65)

 どのくらい貨車に揺られていただろうか。大きな駅に着き貨車から降りた。元山である。また一歩日本が近くになった。元山まで来ていることは、確かに帰還することに間違いないはずだが、一度思いきりよく騙されているから帰還船に乗るまでは安心できない。    ソ連のことだから何時豹変するか分からない。   二〇、日本窒素KKの独身寮へ  寒さ ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(64)

 すきっ腹をかかえ寝ころんだ。寒風が吹き込まないから、扉なしのセメント床の上でも寒さを感じない。  後側の板囲いの上部の空間を眺めた。急傾斜の小山に木の十字架の墓標が、ビッシリ立っている。ソ連は無宗教だから死者の墓に十字架はたてないはずだ。終戦前、ソ連軍との交戦で戦死した日本兵の墓にしても、十字架は似つかわしくない、などと考えて ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(63)

 こんなやり方は初年兵の一人が、在郷軍人から教えられたものらしい。初めての入浴日、私は悠々と湯につかり、あがって石鹸で体中の垢を落とした。再び湯につかろうと浴槽に入った。古年兵らしい二人が浴槽にいるだけで辺りを見回すと、同年兵は誰もいない。  あっと、気が付いた。  浴場に入る時だれかが、××二等兵入浴します、というや否や手桶に ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(62)

  一六、列車は南下する  ソ連側は行き先を発表しないが、刻一刻と日本が近くになっていることは確かな事実であった。  翌早朝列車は動き出した。昼頃荒野原の真ん中に停車した。前方車輌から 「後へ逓伝。各自炊事用の薪を採り、炊事車に渡せ」  と、寒い強風をついて聞こえた。後の車輌に伝えた。  この南下の旅はノーバヤからポセットまでの ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(61)

 あっけにとられている私を引張って、大きな切り株の陰に行く。大き目の空き缶に高粱をざっと入れ、水筒から水を注いだ。石を積んだカマドに枯れ枝を重ね、マッチで火をつけて、缶を載せた。  マッチなど、ラーゲリ生活のなかでは宝石同様である。余程のことがないと持てなかった。 「貴重品を持っているな」  と、いうと 「何でもあるぞ」  と、 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(60)

 そのおっとりした感じが、今も残っている。 「甲種か乙種か」   と、訊ねると 「甲種だった。海拉尓の経理学校へ入学することになった。谷口はどちらだ」  現金なもので、同年で同年兵だと分かると、先輩後輩の気持が減少したらしく、私を呼ぶのにさん付けを取って、谷口と呼び捨てになった。なんだか可笑しくなって、 「経理学校か。後方勤務で ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(59)

 この伐採はあの将校の個人の商売で、賃金を払わなくてよい捕虜を使って、切り出した材木を売り、儲けていたことが帰りの話題になった。通訳がばらしてくれたのだ。だからカンボーイは私たちの怠慢を見ぬふりをしたのだ。収容所に帰りついてみると、広場の一隅に舞台が出来ていた。日曜日毎に演芸会を催すことになったという。捕虜生活が長くなるにつれて ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(58)

 大八車二台に食糧を積み、交替で荷車を引きながら、日盛りの小峠を越えた。夕方着いた伐採地は、幅五mの川の傍で川の両側には低い山並みが押し寄せている。すでに他の伐採班が従事した後であった。  宿舎は川の傍の砂地に、細長い三角テントが設営されていてその数は六つ。内部には囲炉裏風の焚火をする囲いが設けてある。同宿は五人。前職が刑事、す ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(57)

 私はすでに正夢を体験している。あの夢の続きの最後は、わが家に帰えりついて父母にあっている。だから帰還は実現するはずである。死ぬはずはないと強く自分に言い聞かした。  下痢は一日一回程度におさまった。腹痛は全くなくなり、軟便になった日に、元の宿舎へ独断で帰った。   一〇、林田さんと遭う    病舎へ行く前の宿舎に戻ってみると、 ...

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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(56)

  九、天罰覿面  欲の皮が突っ張って、その日の夕方から下痢が始まった。天罰覿面とはこのことか。下腹が痛み便所通いの回数が増えていく。薄粥に慣れきっている胃袋が、だしぬけに固い飯を飯盒二杯と炒りトウモロコシを、一度に送り込まれて驚き拒絶反応を起こしたのだ。  幸い宿舎のすぐ隣が共同便所で助かった。三日目の夕方、便所に行こうとして ...

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