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連載小説

わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(37)

 それで義弟実のフエイラに合流し共同でシヤカラ(農園)を経営することにしたのであった。それが大変好調であり約4ヵ年間も継続した。家族総出で植えつけた蔬菜の稔りを夜も明けぬ前から摘み取り、荷馬車に積んでフェイラで売りさばく労働は、働けば働くほど充実した結果をもたらした。  このような中で、姉のトヨ夫山城茂雄一家7名、及び妻千枝子の ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇 =(36)

 幸い小柳さんの鶏舎作りの手法を学びブラジル人耕地のユーカリ樹を買い受け伐採して家の柱に、更にボルクスワーゲン社工場より廃材の箱板をもらい受けたり、氏の手厚い厚意と支援で事はスムーズにはこんだのであった。謂いようのない感謝の毎日であった。しかし奥地で一農年働いて貰った6コントスだけが手持ち資金でありこれではどうにもならない。   ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(35)

 しかし自分自身商売は全然経験がないばかりでなく農業移民でブラジルにきて町住いとは道理が合わないとばかり思っていた。それでも呼び寄せ手続きが出来たので2週間程、義弟実のフェイラ現場を見たりしていると、県人移民のかなりの人々がフェイラに従事していることに驚いた。  しかしこの地球の反対側でウチナーぐちをはりあげてお客と対応し、当然 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(34)

 とにかく旧移民は働きに働いてようやく今日を築いてきた。従って君たち新移民も理屈抜きに働くことこそ成功の基だ、と常に過重労働を強要していた。自分にとって働く喜びは充分理解しているし、夜明けと共に朝露を浴びて日暮れまで懸命に働いておりながら、そんな奴隷にでも言い聞かせるような下士官根性にはあきあきしていた。  丁度その頃一足先に着 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(33)

 そして縁故もない未知のトッパンの嘉数家(小禄)に配耕されていた。嘉数家は、在伯沖縄協会トッパン支部長の具志堅彦昇氏に依頼し出迎えていた。ところがミラカツーの山城蒲吉(親戚)は私を受入れないが、同ミラカツー支部の日本語教師として引き受けるということで、支部長以下役員数人が引き受け実現を計って出迎えに来ていた。  私は、前述のよう ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(32)

 当日は陽春の日和りで、那覇港埠頭は見送りに駆けつけた人々で混雑し、その中に三和中学校の生徒数十人と先生方が大きな幟をはためかせて見送る風景はひときわ目立っていた。その脇間に千枝子と一也、母の姿がちらついて見え隠れする。暫くの間と云うイメージが頭を支配しているので、なんの寂しさも感じない。  むしろはるばる学校から見送りにきてく ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(31)

 即ち「海外雄飛」、かつての満蒙開拓青少年義勇軍の満州開拓時代やハワイ県人移民の現実の姿を自分の身に重ね合わせて見ながら、未来への人生を模索するのであった。  しかし、千枝子にそんなことを語ったこともハワイからの手紙に認めたこともない。同調するだろうか? あるいは反対せんだろうか?「狭い沖縄」、「占領軍圧政の島」、「極東軍事基地 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(30)

 アメリカ陸軍史上空前の紫心部隊、勲章部隊、勲功部隊として二ユース映画になったことは申すまでもない。この「442部隊の実践記録」という本と、「第442部隊」の本2冊がその部隊に所属した兵士たち自身が書いているので機会があったら見てごらん、と云うことだった。第442二世部隊の異名とする功績部隊とはアメリカ陸軍史上未曾有のことだと多 ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(29)

 翌日予想通り早朝から雨だった。照屋さんの予想は的中したわけである。農場を一巡した彼は出荷用箱の組立作業がある。続いて納期の準備をして雨後の多忙に備える。ほとんど午前中にこの作業が終る。  午後少々小雨となったので乗用車で隣の村ミキルア地区の風車による水の汲み上げ現場視察を行う。始めて見る風車の仕組みは珍しいが暴風の多い沖縄では ...

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わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=(28)

 生産と消費を直結させ、自分の創意工夫を原点に「儲かる農家」の実践躬行、これが究極の目的であると彼は誇らし気に語る。  こうした理念に立って照屋さんの「理論と実践」は有言実行の代表人物として皆さんから尊敬されていた。それに目の敵としてよく口にする言葉は日本の「官僚主義・官僚精神」の改革であった。いわゆる日本はタテ社会で必要のない ...

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