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2005年

ブラジル最北・北半球の移住地タイアーノ(2)=正月は一度も祝わず 野菜作るも需要なし

2月23日(水)   「確かに土地はよかったよね。肥料なんかもいらないし、三期作も四期作もできるわけだから。けどねえ・・・」  秀島瑞子さん(一九二八年生まれ。六一年タイアーノ入植。佐賀県出身)は当時を振り返る。  第一次入植者である三木祥弘氏(現マナウス在住)が「緑―西部アマゾン日本人移住七十年記念誌」に寄稿したものによれば「 ...

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ブラジル最北・北半球の移住地タイアーノ(1)=ロライマ州唯一の入植地昔、雨季には町まで10日

2月22日(火)  【ボア・ヴィスタ発=堀江剛史記者】ヴェネズエラとガイアナに国境を接するブラジル最北の州、ロライマ。州唯一の日本人移住地であったタイアーノ入植から今年で五十年を迎える。数少なくなった元入植者に当時の様子を聞き、かつての入植地跡を訪れた。「消えた移住地」で現地人さながらの生活を続ける準二世にもインタビューを試みた ...

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デカセギの夫〝消えて〟9年=立ち直る非日系人妻(下)=舅の死に水をとった=薬局につとめ多忙な日々

2月17日(木)  ブラジルで離婚訴訟を起こし、裁判官はファッチマさんの言い分を認めた。ところが、肝心の被告の住所が分からない。静岡市、豊橋市などを転々としているためだ。日本で発行されているポルトガル語新聞に尋ね人の広告を写真入で出した。  同僚と名乗る人から一度E─メールが入り、携帯電話の番号が添えられていた。勤務先の日本人店 ...

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デカセギの夫〝消えて〟9年=立ち直る非日系人妻(上)=突然の別れ話「私は帰国しない」=子供かかえ呆然=行商や物乞いも

2月16日(水)  「臥薪嘗胆」。そんな言葉が似合うかもしれない。デカセギにいった夫がほかの女性と一緒になり、音信を切って九年になる。養育費の請求もままならない中で、ブラジルに残された妻子の生活は逼迫。唇を噛み締めて、物乞いをしたこともある。化粧品の行商や薬局の店員をしながら、新たな人生を模索しているファッチマ・アパレーシダさん ...

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日語教育にかける思い=教師が合同研修会(3)=日系生徒にこだわり=精神文化継承したい

2月16日(水)  「日本人の顔をしていて日本語が分からないのは何だから、覚えて欲しい――」。打田麗子さん(53、三世)は少し寂しげに語った。  ノロエステ日本語普及会役員の真田進さん(63)は合同セミナーで生徒の関心をひくために遊びを取り入れた授業を講義しているのを見て、「こんな子どもに迎合するような教育をするから日本は駄目に ...

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日語教育にかける思い=教師が合同研修会(2)=教師レベルの向上へ=マニュアル作り急務

2月15日(火)  日語校が激減した理由としては、教師の成り手がいないことが真っ先に指摘された。  「文協が学校を経営しても文協は自治組織のため、教師の給料は安い上、何の保証もない」と汎パウリスタ日本語普及会部長の沢木茂さん(75)は教師の待遇の悪さを指摘する。  JICAシニアボランティアの井上由己子さん(62)は「日語教育の ...

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「自分史」出来た!=安達シニアの指導で(4)=満州、日本、ブラジル=遠藤菊子さん=体験、今やっと書けた

2月15日(火)  「日本には住めないなぁ。大陸で育ってるから、ブラジルの方が合うんでしょう、きっと」。満州奉天市で生まれ、十九歳で結婚した遠藤菊子さん(86)。四人目の子どもを出産した三日後に終戦を迎え、翌日からソ連兵の侵入に怯える日々が続いた。  仲の良かった夫にすら、終戦後のことは話していない。「戦争のことなど思い出すのも ...

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日語教育にかける思い=移民のふるさとはいま(1)=文協との一体感薄れ学校数は大幅に減少

2月12日(土)  サンパウロ市から西へ六百キロにあるアラサトゥーバ市(ノロエステ線)で一月二十、二十一日の二日間にわたって、ノロエステ、パウリスタ、ソロカバナの三線沿いにある日本語学校の教師ら約六十人による合同研修会が行われた。この地方は日本人移民が多く入植したことで知られる。参加者に現状や、日本語教育にかける思いを聞いた。  ...

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「自分史」出来た!=安達シニアの指導で(3)=残な戦中、戦後を経て 佐々木正男さん印象深いブラジル生活

2月12日(土)   「波乱の半生を送った」と振り返る佐々木正男さん(81)の自分史、『若き日の思い出』には、ブラジルに来るまでに経験した戦中、戦後時代のことが詳しく書かれている。  旋盤工見習いに嫌気がさして軍隊へ志願。「僕は軍隊向きのする人間で、軍隊が気に入った」という。昭和十八年五月から従軍、中国国内を転戦、将兵が栄養失調 ...

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「自分史」出来た!=安達シニアの指導で(2)=結婚生活、姑との不仲  矢野恵美子さん 今、プラスに捉える

2月11日(金)   ペン一本を書き潰し、首が回らなくなった。「私でもこういうことが書けた。夢にも思っていなかったこと。娘たちに残してやれるし、書いて本当によかった」。自分史『我が八十年の足跡』を書き終えた矢野恵美子さん(84)の顔には満ち足りた表情が浮かぶ。  「いま私が思うことは、苦労の多かった人生でしたが、苦労という試練が ...

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