ホーム | 連載 | 2012年 (ページ 8)

2012年

ラーメン文化の普及を目指し=MNプロポリス社会長 松田典仁=第2回=麺、スープについて

ニッケイ新聞 2012年7月14日付け  料理はトライアングルである。どんなに腕の良い料理人でも、食材が悪ければ美味しい料理は作れない。どんなに食材が良くても製造技術が良くなければ美味しい料理は作られない。どんなに食材や製造技術が良くても、サービス精神、もてなしの心で結果は違ってくる。  美味しい料理=「食材料X製造(生産)技術 ...

続きを読む »

YOSAKOIソーラン10周年=第4回=浜崎マルセリーノ会長就任=ブラジル的要素の芽生え

ニッケイ新聞 2012年7月13日付け  2005年、3回目大会で浜崎マルセリーノさん(49、二世)が会長に就任した。兄が着物販売店「ミニ着物」を経営していたため、衣装協力にと呼びかけられたのがきっかけ。妻のみゆきさんと運営する平成学院は、初回大会からの参加チームでもある。  浜崎会長は「親が祭りキチガイで、小さい頃から仕事もせ ...

続きを読む »

第3回=03年、第1回大会開催!=ガ・ブエノ街も舞台に

ニッケイ新聞 2012年7月12日付け  「時間を守る」「挨拶をする」「整理整頓をする」—をYOSAKOI3原則とした。「街は舞台だ」をスローガンに街中で踊る札幌に倣い、文協講堂での公演に加え、リベルダーデ区のガルボン・ブエノ街での開催にもこぎつけた。  ルールは「手に鳴子を持って踊ること」「曲は5分以内で、ソーラン節を1フレー ...

続きを読む »

第2回=「若者を呼び戻したい」=日系社会活性化目指し

ニッケイ新聞 2012年7月11日付け  若者を巻き込み短期間に日本全国、海外へと広まっていったYOSAKOI。日系社会の縮小に歯止めをかけたいと願っていた飯島秀昭氏は、YOSAKOIのビデオを手にし、「これなら日系社会に若者を呼び戻せるかもしれない。素晴らしい素材だ」と確信した。  ブラジルナンバー2のチェーン・ヘアサロン「S ...

続きを読む »

山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(4・終)=〃光は東方より〃と叫びたい

ニッケイ新聞 2012年7月7日付け  護憲革命で連邦軍が近づき、東山農場内に陣地をはっていたサンパウロ州軍がカンピーナス市方面に後退した時、興味深い光景がくり広げられた。山本喜誉司が書いた『農場で見た千九百三十二年護憲運動記』には、こうある。  【逃げ腰になっている弱い兵隊サンだけに一層哀愁の念も起る。たとえ弱い兵隊サンでも我 ...

続きを読む »

第1回=学生のアイデアで誕生=札幌から全国、海外へ

ニッケイ新聞 2012年7月7日付け  鳴子を手に「ソーラン」と掛け声を響かせ、色とりどりの衣装で踊るYOSAKOIソーラン。美容院「SOHO」の創始者・飯島秀昭氏が仕掛け人となり大会を開催して以来、僅か10年でコロニアの一大イベントに成長を遂げた。日本との交流も緊密化し、今月29日に開かれる第10回大会には、本場札幌で2年連続 ...

続きを読む »

ラーメン文化の普及を目指し=MNプロポリス社会長 松田典仁=第1回=ラーメンのブラジル導入

ニッケイ新聞 2012年7月7日付け 連載にあたり  サンパウロ市にラーメン店舗が開店され、早いものでもう約10年、ここの人々の心をつかみ、好んでラーメンを食べ、ハシとレンゲを使い、麺とスープを一緒に食べる食文化が確実に拡大してきているように見受けられる。  焼きそばは気軽に店でも家庭でも料理する事が出来、ブラジル社会に「YAK ...

続きを読む »

山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(3)=ヅットラ大統領との奇縁

ニッケイ新聞 2012年7月6日付け  1930年3月、長女・謡子が腸チブスで亡くなったことが、山本に永住を決意させる一因となった。「父は最初、農場経営のために一時滞在のつもりで来た」と坦はいう。山本はブラジル人のポ語教師をつけてすぐにペラペラになり、全伯有数の専門機関だったカンピーナス農事研究所の学者や幹部と親交を深め、ブラジ ...

続きを読む »

山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(2)=銃雨の中で日伯旗立てる

ニッケイ新聞 2012年7月5日付け  東山農場を挟んで両軍が対峙したその時——。 【9月27日=本部に據(よ)れる(サンパウロ州軍)一隊午後9時退却、本部の前方1キロメートルにある牧草地Anhumas No.1高地に據(よ)る。ここに本部は全く両軍の間に介在す。本部広場にはブラジル並びに日本国旗を掲げ中立を表示す。(中略)連邦 ...

続きを読む »

山本喜誉司と護憲革命=家族が語るコロニア秘史=(1)=東山挟んで撃ち合いに

ニッケイ新聞 2012年7月4日付け  「今回語ったことの多くは、家族しか知らなかったことです」。2時間半にわたる取材の最後に、山本喜誉司(1892—1963、東京)の二男のカルロス坦(たん、88、北京生まれ)はそう付け加えた。ブラジル国家の背骨を作ったといわれるヴァルガス政権初期に起きた、ブラジル史最大の市民戦・護憲革命から数 ...

続きを読む »