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2013年

第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(39)

ニッケイ新聞 2013年7月6日  戦勝派史観は、さらに次の様に言う。  「襲撃事件は、実行者たちの独自の行動であり、臣道連盟が組織的・計画的に行ったものではない。しかるに、ハイセン(敗戦派)の密告によって、警察は『秘密結社・テロ組織の臣道連盟の犯行である』と思い込み、大量の人間を検挙した。主だった連盟員を根こそぎ拘引・留置した ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(55)

ニッケイ新聞 2013年7月31日  さらに、席上、各地の認識運動や戦勝派の動きが、出席者から語られているが、危機感を強く表現しているのがバストスで、山中弘は、 「バストスハ何ラカノ方策ヲトラネバ コノ認識運動モ駄目ニナル」  と実情を明らかにし、後で、もう一度、同趣旨の話を繰り返している。 やはり危機感を伝えているのがツッパン ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(40)

ニッケイ新聞 2013年7月9日  普通の受信機で聴けたということは、発信地が国内、多分サンパウロ州内であったのであろう。送波者は日本人であった筈である。  ここで、ラジオ放送など出来る技術の持ち主が、邦人の中に居たのか……という疑問は当然湧く。が、実はサンパウロ市では、戦前から、民間のラジオ放送局は、日本人向けの番組を制作・放 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(41)

ニッケイ新聞 2013年7月11日  言われて改めて思い出したのだが、当時の邦人は、終戦の日までは、誰もが日本の勝利を信じていた。戦況の悪さに気づいていた人も奇跡が起こるのを祈っていた。そういう意味では、たしかに皆、戦勝派だったのだ。  ということは、認識派史観が言う様に「終戦直後、日本が勝ったと狂信する者が大量に出た」のではな ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(42)

ニッケイ新聞 2013年7月12日  本稿の初めの方で詳しく記した様に、邦人の殆どは、明治以来の日本型ナショナリズムに基づく国民教育、社会教育を受けて成長した人々であった。ブラジルに渡ってからは、日本から吹き込むナショナリズムの熱風を浴びた。  戦時中は、迫害の中、祖国の勝利の日を待ち続けていた。天皇への尊崇や国家に対する信念は ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(43)

ニッケイ新聞 2013年7月13日  以上の如くで、結論から言えば、認識派史観Ⅰの使用した「狂信」という言葉は、間違いということになる。  常識的に考えても、そうであろう。終戦当時、邦人社会の人口は、ひと口に30万と言われた。幼少年者は除かねばならないが、除いた後の10割近く……ということは20万以上にはなったろうが……それだけ ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(44)

ニッケイ新聞 2013年7月16日  敗戦の事実を認識せよ!という声は、終戦直後から、一部で上がっていたが、社会運動として一つの形をとって表面化したのは1945年9月29日、つまり終戦の翌月末のことである。  敗戦派の有志が、サンパウロの中央部近く、通称カンタレイラ街に在った常盤ホテルで集会を開いた。戦勝・敗戦両派を聴衆に招き、 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(45)

ニッケイ新聞 2013年7月17日  常盤ホテルでの失敗に懲りず、翌10月、野村・藤平は、下元健吉と組んで、またも同じ様なことを企てた。日本政府から、国際赤十字社を通じて、終戦の詔勅が邦人社会に届いたのを機会に、10日、各地の代表者をコチア産組の講堂に集めて、その伝達式を行ったのである。  詔勅は英文で打電されて来ていた。それを ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(46)

ニッケイ新聞 2013年7月18日  同じポンペイアの市街地に居た白石静子(既出)は14、5歳であったが、こう思い出を語る。彼女の家族も戦勝派であった。  「ウチの親族に不幸があって、葬儀の時、近くの敗戦派の人が香典を届けに来ました。私は、一緒に住んでいた叔父に言いつかって、返しに行きました。『申し訳ありませんが、これは受取れま ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(47)

ニッケイ新聞 2013年7月19日  また、臣連は、終戦で利敵産業防止運動は必要なくなったため、止めていた。同時に秘密結社から公開団体へ切り換えていた。  事業目的も「大東亜共栄圏への再移住」に変えていた。大東亜共栄圏は、日本の敗戦で雲散霧消していたが、臣連は戦勝説をとっており、健在であると信じていた。  戦勝説、大東亜共栄圏へ ...

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