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2015年

『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(47)

カフェー・ソルーベル・イグアスー社の工場

窓外に見る企業の浮沈 先に記したカフェー・ソルーベル・イグアスー社の工場は、2015年現在、操業開始以来、40年以上になる。 筆者は、何度か、その工場の傍を車で通ったが、その威容が周辺を圧倒している様に感じた。同社の製品は国内・国外に広く市場を確保、盛業中と聞く。 同社工場のイナウグラソンの2年後の1973年、日本のカネボウ・シ ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第5回=認識派新聞に伝わる〃伝統〃

2005年11月末に行われた暁星学園の同窓会にたくさん集まった卒業生

 岸本逮捕に関して伯字紙よりも早く報道にしながら、距離を置くニュアンスのパウリスタ新聞―。パ紙の創立は1947年1月であり、岸本逮捕はその翌年3月だ。 良く調べてみると、そもそも岸本逮捕の発端となったのがパ紙48年2月26日付けポ語頁にあるS・ミツタニ署名の「Um livro-salado japones que merece ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(46)

往事茫々 斉の息子の宮本ミノルは1962年、下院議員に当選したが、1978年の選挙で落選、以後、政界復帰をすることはなく、他界した。 1973年、コルネーリオ・プロコッピオの市長になった邦弘の息子ネルソン氏は、当時28歳の若さで、将来を嘱望された。が、任期途中で降板した。 宮本邦弘家の不幸は長く尾を引いた。昔、連邦警察で活躍した ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第4回=勝ち組叩きで名を挙げた翁長

翁長英雄が反勝ち組声明を上げるノイテ紙インタビュー記事

 翁長英雄の意見を大々的に報道した1946年4月10日付ノイテ紙記事の主見出しは「A Shindo-Renmei Prosseguira!」(臣道聯盟は突き進むだろう)。副見出しが「Um nipo-brasileiro fala」(日系ブラジル人は言う)になっている。 二世も含めて「ジャポネース」と一般的に表現されていた時代に、 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(45)

北パラナの地図

 1960年代後半、筆者が邦字紙の新米記者をしていた頃、邦弘はサンパウロ市内にも事務所を置き、様々な事業に関わり、幾つかの団体の役員を務めていた。 人から聞いたことだが、自家用の飛行機で飛び回っており「サンパウロがフェシャードで、降りられなかった」などという会話を日常的にしていた。霧がかかって着陸できなかった、という意味である。 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第3回=伯字紙「最悪の人物」と報道

「ブラジルを侮辱する本」と報じた1948年5月15日付フォーリャ・ダ・ノイテ紙。なぜか写真は岸本次男

 当時の伯字紙を探すと主要紙が揃って岸本逮捕を報じていた。前年まで連日騒がせた臣道聯盟に関連した〃大事件〃と見られていた。 48年5月16日付コレイオ・ダ・マニャン紙は「ブラジルにたて突く本を書く」との見出しで岸本逮捕を報じ、「この日本人はこっそりとブラジルを攻撃、中傷する本を書いた」「ブラジル生まれの子供が何人もいる事から、法 ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(44)

カフェ・イグアスーの工場

 こういう話もあった。正月、斉の配下たちが、農場のセーデ(本部)で新年会を開いていた。そこにカマラーダが乗り込んで着て、仲間に入れろと暴れ出した。それを小山田という男が、鞭で叩きのめした。カマラーダは逃げたが、すぐ仲間を大勢連れてきて、セーデを取り囲んだ。その数が忽ち膨れ上がり危機が迫った。そこへ斉がピストルをパンパン鳴らしなが ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第2回=終戦直後のベストセラー

左が初版(1947年)、右が3版(1962年)

 サンパウロ州公文書館(Arquivo Público do Estado de São Paulo)でDOPSの岸本調書(10590)を調べたところ、1957年5月21日付けの判決文があった。岸本への容疑は「ブラジルを攻撃し、人種対立を刺激し、日本人の孤立を促進する内容の本を刊行して国益を害した」であり、《帰化権を剥奪した上で ...

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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(43)

博打と拳銃 ところが、この斉、町では博打ばかりしていた。70コントス負け、兄から貰った20アルケーレスの土地を渡してしまった。後年のことになるが、サントスへ行って400コントス負けたことがある。が、顔色一つ変えず小切手を切った。相手の方がオロオロしてしまった。もっとも一方で、1千コントスで買ったカフェザールを、右から左へ倍額で売 ...

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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第1回=正史から抹殺されたジャーナリスト

岸本昂一(新潟県人会)

 67年前――1948年3月3日午前10時、サンパウロ市ピニェイロス区の寄宿舎学校「暁星学園」に社会政治警察(DOPS)の刑事が突然訪れ、著書『南米の戦野に孤立して』を出版したばかりの岸本昂一学園長(筆名=丘陽、1898―1977、新潟県)に出頭を命じ、同書を全て押収した。約1カ月間も投獄され、以後10年間は国外追放裁判と闘うこ ...

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