ホーム | 連載 | 2016年 (ページ 4)

2016年

第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(8)=トルデシリャス条約500周年の地

『トルデシリャス条約500周年記念式典』の記念切手を見せながら説明する会田清さん

 グアイーラの生き字引は、1958年3月サントス着のアフリカ丸で渡伯した会田(あいた)清さん(79、山形県)だ。同郷会の呼び寄せだった。  「陸路の道ができたのが1960年頃。僕がきた65年頃は、まだ原始林ばかり。雨が降ったらドロドロのテーラ・ロッシャでしょ。アサイから車でここに来るまでに、雨が降ったら一週間もかかった」と思い出 ...

続きを読む »

第6回南米婦人の集い=レジストロ、皆で村おこし=(2)=自分の生産物に誇りを!

フェイラ・デ・プロドゥトルで山芋を手にレシピを話し合う

 夕食会では文協青年部らの民謡発表や健康体操を楽しんだ。CKCの大森麗裕さんが事業の目的を改めて確認。レジストロ農協婦人会の宇都宮和子会長は「この3日間、実のあるものにしたい」と意気込みを語った。 ■   ■  集い2日目は早朝にホテルを出発し、『フェイラ・デ・プロドゥトル』と呼ばれる直売市へ。採れたばかりの鮮度の高い食品が並ぶ ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(14)

水野龍三郎さん一家

 しかし不思議である。笠戸丸移民で、大量の被害者を出し、その人々から恨まれていた水野龍に、一方で、帰伯費用を送り、住む家まで心配する友人たちが居た。何故だろうか?  この点、筆者は長く不可解なままであった。  2013年、水野の息子の龍三郎さんが、クリチーバに健在であることを知った。一度会いたいと思った。疑問を解く手がかりが見つ ...

続きを読む »

第6回南米婦人の集い=レジストロ、皆で村おこし=(1)=現地で息づく日本文化

SESC前で説明中の清水さん

 中央開発株式会社(CKC、山口達朗所長)などによる『第6回南米婦人の集い』が先月15、16の両日、サンパウロ州レジストロで行われた。バイーア、サンタカタリーナなど国内各地ほか、パラグァイからも婦人団体が集まり、約70人が交流を深めた。(國分雪月記者)  各地婦人会の連携強化を狙うこの事業。今年の集いはアルゼンチン、ボリビアの参 ...

続きを読む »

第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(7)=豪快な戦後移民の劇的人生

マテ・ラランジャ社が建設した映画館を修復した劇場。ガイドから説明を聞く一行

 豪快な戦後移民、田口功さんの奥さんはイタリア系ブラジル人医師だった。多くを語らないが、田口さんがスーパー経営などの幾つかの事業で成功していたこともあり、治安問題に頭を悩ませていた。強盗がサンパウロ市南部の自宅を襲ったのを機に、彼女との安穏な余生を暮らすために10年前にカラガタツーバの海岸沿いに家を買ってサンパウロ市から移ってい ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(13)

 何としてでも植民地を建設すべく、苦心を重ねながらも、結果として、時勢から外れてしまった水野龍は、何をして居たろうか。  クリチーバの小農場で、カスカベルを焼いて粉にし、毎日呑み、70歳を越していたのに、子供を二人つくった。  天照大神を信奉、毎朝、未明に起床、神前に灯をともして、故人となった縁者数百人の過去帳を読み上げていた。 ...

続きを読む »

第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(6)=何気ない朝食でアントニオ猪木

笹島トヨコさん、弘美さん

 翌朝10月1日(土)にホテルで、朝食中に参加者の笹島弘美さん(78、プレジデンテ・プルデンテ生まれ、二世)、妻のローザ・トコヨさん(72、アサイ生まれ、二世)に、ウマラマ日伯文化体育協会との交流会の感想を聞いた。  夫の弘美さんは「立派な会館で驚いたし、婦人部の食事も美味しかった。ヤキソバの入ったすき焼きが面白かった」と満足の ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(12)

 前項の様な次第で、クリチーバに現れた初期の邦人は、水野龍の粗放さの被害者が多かった。ところが、その水野が1926年、ここに転住してきた。といっても、単なる偶然であったが‥‥。  被害者も殆ど去っていた。  水野は家族連れであった。町外れで小さな農場造りを始めた。歳は六十代半ばを過ぎており、当時としては完全な老人であった。孫ほど ...

続きを読む »

『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(11)

婚約者から逃げて来た男  1909年には、もう一人の日本人がクリチーバ入りした。AYUMIによると、シンキチ・アリカワという名で、「婚約者から逃げてきた」と言っていたという。  笠戸丸の2年前、1906年、隈部三郎一家と日本から来た7人の青年の一人、有川新吉だった。  隈部は、改めて紹介する必要もあるまいが、元は鹿児島県の判事で ...

続きを読む »

第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(5)=この地で健闘する戦後移民

 ウマラマといえば青年隊の〝故郷〟との印象だったが、この地でもコチア青年を見つけた。パラナ州に入ったのは戦前移民の子供世代が中心だったが、今回の旅を通して、青年隊はもちろん、意外に戦後移民があちこちに入って健闘していることを痛感した。  たとえばコチア青年1期1回の高橋隆さん(79、山形県)だ。のっけから「ブラジルは面白いよ。何 ...

続きを読む »