半沢さんはおじさんのもとに戻り、母親の状態と同行できないことを伝え、再び小屋に戻った。昼頃におじさんが小屋に顔を出し、母親を診ていた。 母がこのまま死ぬのではという不安に耐えられず、半沢さんが泣いていると、突然母が上体を起こし、「ご飯作らな!」と半沢さんを叱り飛ばした。 唖然とする半沢さんの前で、また眠るように倒れ、鼾をか ...
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半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(3)=予期しなかった母親の死
逃避行で向っている方向、島の反対側からも米軍が攻めて来ている、という知らせを受けた。進路を変え、急いで逃げ場所を求めて歩いた。疲れて歩けなくなった妹は引きずられるようにして進んだ。 雨季の最中に何千人もが通ったので道は踏みならされて泥々。爆撃により大きな穴が開いた部分には泥水が流れこみ、一目では穴があることが判らなくなってい ...
続きを読む »半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(2)=米軍の再上陸、雨の逃避行
太平洋戦争緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦は1941年12月8日に始まり、翌42年5月10日に制圧を終えた。 フィリピン当初は45日で主要部を攻略できると判断され、担当部隊として第14軍が編成され、司令官に本間雅晴中将が任命された。主力部隊は12月22日にルソン島に上陸し、1月2日には首都マニラを占領。 しかし、アメ ...
続きを読む »半沢友三郎の壮絶な戦時体験=フィリピンの戦いとブラジル移住=(1)=「全てを忘れる気で日本出た」
サンパウロ州アチバイア市の豊かな自然に囲まれた家に住む半沢友三郎さん(82)は、「ヨ(自分)らも終わりかなと思っていた」と遠くを見つめながら回想した。半沢さんは1935年12月22日にフィリピンのミンダナウ島ダバオ市で生まれ、第2次世界大戦時の激烈な「フィリピンの戦い」(日本軍が侵攻したのは1941―42年、連合軍が占領したの ...
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