ホーム | アマゾン 関連記事 (ページ 227)

アマゾン 関連記事

アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(10)=闇の中、光る目、鰐を撃つ=1時間後、逃走計り絶命

2006年4月5日(水)  しばらく行くと、かなり高い梢に鷹が一羽止まっている。「しめしめ、少々肉が固くても生(なま)なら食えるだろう」と、狙いを定めてズドンと一発。鷹はパッと飛び上がって、それから悠々と飛び去って行ってしまった。ほとんど外したことがない一発も腹がへっていると当たらない。皮肉なものだ。  明鏡止水・平常心そのもの ...

続きを読む »

アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(9)=毒の中喬木、水に漬かる=残らず死んだ周りの魚

2006年4月4日(火)  第四日  腹がへっていたせいか、早く目が覚めた。焚き火は大かた灰になっていて、わずかに燻っている。口をすすぎ、顔を洗ってから、昨夜オンサがいたところを見に行く。  あちこちに例の足跡があり、ところどころ引っ掻いた跡もある。足跡は直径二十センチくらいで、川岸にあったものと同じである。  フィルモが「これ ...

続きを読む »

大耳小耳

2006年4月4日(火)  色んなイベントで郷土食を食べる機会が多いのだが、首を傾げることも多い。もちろん本場の味と比較してのことだ。もちろん、ブラジル人の味覚に合わせて―ということもあるのだろうが…。二日に愛知県人会であった「屋台まつり」。和歌山県人会のお好み焼きはちょっとしたものだった。桜えびや青海苔を日本から取り寄せ、よく ...

続きを読む »

アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(8)=オンサが近づいて殺気=寝撃ちの姿勢で撃鉄起こす

2006年4月1日(土)  とにかくのどが乾いている。水を飲もうとイガラッペーに下りる。水は流れが止まっている。澄んでいるのに魚影がない。水辺の浅いところにオタマジャクシがウジャウジャいる。  少し変だなと思う。たいてい川の流れが止まったところには、逃げ遅れた魚などが集まっていて、バシャバシャ、ボチャンとやっている。それがしーん ...

続きを読む »

JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から =連載(35)=池田玲香=マリアルバ文化体育協会=子供と正直に向き合って

2006年3月30日(木)  私がブラジルに来て、一番困ったこと。それは言葉や文化の違いではなく、習慣のちがいだった。躾の違いと言ってもいいかもしれない。それは一年経った今も、私の前に大きな壁となって立ちはだかっている。  私は大雑把な性格で、あまり物事を気にしない。それが人事となると、なおさら気にもとめない。けれど今、子供達と ...

続きを読む »

アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(7)=川水のカルシウムの有無=下流で牛の成長に影響

2006年3月30日(木)  続けて伐っていくと、五メートルから十メートル置きくらいに、踏み分けた小道のようなものがあり、それを横切る。アンタの通り道だとのことである。  なお左右に何カ所も下草を押し倒して何かが寝転がったような跡がある。ヴィアード(鹿)の寝床だという。二時間ほど伐ってやっと切り抜ける。そして少々高い木々が茂って ...

続きを読む »

アグリビジネス

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い Log In. あなたは会員ですか ? 会員について

続きを読む »

アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(6)=アンタ(獏)の防御の知恵=藪の中でも水中でも

2006年3月29日(水)  シッポー・ダ・アグアを何本か切って飲んだが、ひどく乾いているので、少しものどの乾きは止まらない。  そのうちにシッコが「これだ、これだ」と言いながら、スマウメイラ(カポックの木で直径二メートル以上の大木になる)の地上に出ている走り根を一メートルほど切り取った。縦にすると、ジャーッとばかり水が出る。飯 ...

続きを読む »

アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(5)=水筒の水のみ干して後=渋みある「水の蔓」に頼る

2006年3月28日(火)  昼は魚、夜はケイシャーダの肉を腹いっぱい詰め込んで馬鹿話をしていると、昼間干して夜小屋のなかに取り込んだケイシャーダの皮が何だか動いているような気がする。よく見ると、たくさんのダニが宿主が死んだので、そのままついていても何にもならないので、「はい、さようなら」とばかり、ぞろぞろ移動を始めていたのであ ...

続きを読む »

コラム オーリャ!

 二月の開設から二カ月を待たず、閉鎖した広島市デジタル博物館。本紙の電話取材に市担当者は、「寄贈者本人に確認を取りたい」。イタコでも呼ぶつもりだろうか。  市が収集活動をしてから、すでに二十余年。寄贈者の多くは鬼籍に入り、古里への思いから寄せられた四千以上の資料は市北部の倉庫に死蔵されていた。  記者はかつて、その資料を閲覧した ...

続きを読む »