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アマゾン日本人移住90周年=チャリティーディナーショー=サンパウロ市から思い馳せ、絆を確認=豪華歌手と珍しいアマゾン料理で

 アマゾン日本人移住90周年をサンパウロ市でも祝し、慶祝の想いを届けたい――トメアスー日本人移住90周年記念祭典実行委員会(柴田シルヴィオ一宇実行委員長)は、同地90周年記念チャリティーディナーショー(企画・構成・演出=藤瀬圭子プロダクション)を9日夜、サンパウロ市のブラジル日本文化福祉協会ビル内多目的サロンで華々しく開催した。 ...

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《ブラジル》国立公園の火災2週間超える=観光名所も焼けて、高速道にも煙

 マット・グロッソ州シャッパーダ・ドス・ギマランエス国立公園での火災が2週間を超え、週末には、同公園内の観光名所の一つのポルタン・ド・インフェルノ(地獄の門)にも火が及んだ。また、ポルタン・ド・インフェルノの傍を通り、同州州都のクイアバ市と同公園を結ぶ州道251号線は、一部で視界がほとんどゼロという状態に陥っている。  法定アマ ...

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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(14)=起死回生の森林農法

 「ここが舗装されていないので車の故障や事故も多い。パラー州政府は今年度の予算に組み込んでいると言いますが、動きはないですね」。車で第二トメアスー移住地に向かう途中、運転する林さんからそう説明された。  第二トメアスー移住地への道は土がむき出しだ。アマゾン移民90周年、第二トメアスー移住地が建設され50年以上経つが、一度も舗装さ ...

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《ブラジル》アマゾン火災=イスラエルの消防士が到着=軍や国内の消防士も現地へ

 法定アマゾンで森林伐採や伐採後の焼畑などに起因する森林火災が増えていると国内外から批判を浴びた事で、ボルソナロ大統領が8月下旬に森林火災対策を打ち出した際、派遣を要請したイスラエルの消防士11人が5日にブラジリアに到着したと同日付現地紙サイトが報じた。  国防省によると、イスラエルの消防士らはボルソナロ大統領らに迎えられた後、 ...

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東西南北

 20歳以上年の離れた夫人をからかったことでより悪化した、アマゾン森林火災問題でのボルソナロ大統領とフランスのマクロン大統領の対立。その後、ブラジル国民がネット上で「ごめんね、ブリジット」とマクロン夫人に謝罪するキャンペーンを行い、収まったかに見えたが、その矢先、今度はパウロ・ゲデス経済相が「あれは本当だ。彼女はブスだ」と言い、 ...

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「葉月」という月=義父・酒井と崎山精神=パラグァイ在住 坂本邦雄=《下》

老後にメソジスト教会の牧師になった酒井  いわゆる「人はパンだけに生きるに非ず」で、余生を移住地の精神指導に尽さんと心掛けたのである。例の事件後に『IGLESIA MEMORIAL Yoshitaro Sakai=酒井好太郎記念教会』の銘板が掲げられた。  筆者は迂闊にも、酒井夫妻は遅蒔きながら、その数年前にキリスト教の洗礼を受 ...

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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(13)=トメアスー唯一の日系病院

 入植当初からマラリアなど風土病に悩まされたトメアスーの歴史は、病院なしには語れない。  「アカラ植民地では、その諸経費中の五〇%が、病院、衛生費であった時もあり罹病率八〇%に達し、植民者の事業計画を根底よりくつがえした」(『トメアスー開拓70周年記念誌』99頁)。  トメアスー文化農業振興協会会館の隣りには、マラリア対策の一つ ...

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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(12)=トメアスー唯一の私立初等学校

 「地域に根ざした子弟教育に取り組む」ことを目的として、文協の敷地内にあった学生寮を改修し、2002年2月3日に「日系学校」が創立された。地方には珍しい私立校で、日本の小学生から高校生に相当する生徒が通っている。先生は8人、生徒は177人。生徒の62%が非日系人だ。  「日系人の学校らしく時間厳守に力を入れている。私立にしては授 ...

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《ブラジル》ボルソナロ大統領=国連に対しても軍政被害者揶揄=元チリ大統領の父親を侮辱=独裁者ピノチェトを礼賛=注目される総会での演説前に

3日のボルソナロ大統領(Valter Campanato/Ag. Brasil)  ボルソナロ大統領は4日、元チリ大統領で国連人権高等弁務官のミチェル・バチェレ氏の父親を侮辱する発言を行った上で、同国の独裁者アウグスト・ピノチェト元大統領を称えた。ボルソナロ大統領は7月にも、ブラジル弁護士会(OAB)会長のフェリペ・サンタクルス ...

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アマゾン90年目の肖像=「緑の地獄」を「故郷」に=(11)=三世校長が就任した日本語学校

 「外国人は10人寄れば倶楽部を作りたがるが、日本人は7、8家族寄れば先ず学校を建てる」という言葉は、トメアスー移住地において決して大袈裟ではない。1929年の第一回移住者の入植時には先ず父兄会が発足し、移民収容所で第一回移住者の丸弘毅氏(元教員)を校長として週3回午後に日本語(国語)の教育が始まった。  それから90周年が経ち ...

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