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クリチーバ 関連記事

「日系社会が日亜の絆の担い手」=安倍首相が亜国を公式訪問=祖父・岸信介以来57年ぶり

壇上で挨拶する安倍首相

 【らぷらた報知24日付けより転載、一部修正】来亜した安倍晋三首相と昭恵夫人の歓迎会が21日午前、首都ブエノスアイレスの在亜沖縄県人連合会(COA)会館で開催された。安倍首相は「2020年のオリンピックを東京に与えてくれた感動の記憶の懐かしい街です。あの時以来もう一度アルゼンチンに、ブエノスアイレスにやって来なければ、とそう思っ ...

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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(18)=副市長とケンカ、豪快な戦後移民

田邉誠さん

 カスカベル現地で野菜生産する田邉誠さん(75、新潟県)は1961年11月に呼び寄せで渡伯。北パラナのアサイ移住地の近く、アモレイラに入植した。「日本の物差しは小さすぎ、生活に夢がなかった。まだ20歳、若いからコラージェン(勇気)、度胸があったんだな」と笑う。1年半のコロノ(農業労働者)生活を経て、カスカベルへ。  「地図が好き ...

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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(17)=「野菜はまかせろ」コチア青年

猪俣征幸さん

 猪俣会長の叔父、猪俣征幸さん(73、大阪府)にも話を聞いた。1959年1月サントス着のブラジル丸で渡伯した。「猪俣家は両親と6人兄弟の計8人で来た。僕は富男の父の弟」と自己紹介した。  「大阪にいた時に区画整理で、自宅があった場所に道路が通ることになり、立ち退き料で入った。最初はバストスに入ったが、一年居なかった。元々商売をや ...

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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(16)=全伯一の幼年の和太鼓

カスカベル文化体育協会の猪俣富男会長

 2日夜にはカスカベル文化体育協会で慰霊法要が行われた。今回は天理教カスカベル教会(小笠原俊一会長)が法要を行い、猪俣会長と本橋団長が代表して献花をした。今回の旅で訪問した3カ所とも宗教が異なり、伝統仏教は一つもなかったのが印象に残った。新しい教団ほど信者開拓に熱心ということなのか。  その後、交流会でまず猪俣会長が「今年の県連 ...

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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(10)=ブラジルより亜国と関係の深い地

一行は船でパラナ川を遊覧し、グアイーラと南麻州を結ぶ3800メートルの橋の中間地点をくぐった。この橋のすぐ川下にセッチ・ケーダスがあっ

 バンデイランテスが破壊しつくしたグアイーラの町周辺が、再び脚光を浴びるようになるのはなんと300年後だ。1882年にトマス・ラランジェイラという商人がパラグアイ戦争で協力した功績により、ブラジル帝国から開発許可をもらったからだ。  会田さんによれば、トマスは「英国系アルゼンチン人」だ。彼の会社はパラグアイのコンセプシオンにマテ ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(14)

水野龍三郎さん一家

 しかし不思議である。笠戸丸移民で、大量の被害者を出し、その人々から恨まれていた水野龍に、一方で、帰伯費用を送り、住む家まで心配する友人たちが居た。何故だろうか?  この点、筆者は長く不可解なままであった。  2013年、水野の息子の龍三郎さんが、クリチーバに健在であることを知った。一度会いたいと思った。疑問を解く手がかりが見つ ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(13)

 何としてでも植民地を建設すべく、苦心を重ねながらも、結果として、時勢から外れてしまった水野龍は、何をして居たろうか。  クリチーバの小農場で、カスカベルを焼いて粉にし、毎日呑み、70歳を越していたのに、子供を二人つくった。  天照大神を信奉、毎朝、未明に起床、神前に灯をともして、故人となった縁者数百人の過去帳を読み上げていた。 ...

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国内最大級の日本公園を訪ねて=健全運営に向け奮闘、マリンガ=(中)=月7万レの維持費捻出がカギ

お茶を振舞う若い女性ら。このように施設の活用場面を増やしたい

 月7万レアルという公園維持費の内、電気代だけで1万レを消費するという。主な固定収入は週末に開催するレストランなど。土日に一人28レアルでブッフェを提供する。「安くて美味しい」という評判の一方、サンパウロの経済感覚からか「収入を考えればもっと値上げしても良い」という声もあった。  最も経営を支えているのは市からの補助金だ。元市長 ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(12)

 前項の様な次第で、クリチーバに現れた初期の邦人は、水野龍の粗放さの被害者が多かった。ところが、その水野が1926年、ここに転住してきた。といっても、単なる偶然であったが‥‥。  被害者も殆ど去っていた。  水野は家族連れであった。町外れで小さな農場造りを始めた。歳は六十代半ばを過ぎており、当時としては完全な老人であった。孫ほど ...

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『百年の水流』開発前線編 第二部=南パラナ寸描=外山 脩(おさむ)=(11)

婚約者から逃げて来た男  1909年には、もう一人の日本人がクリチーバ入りした。AYUMIによると、シンキチ・アリカワという名で、「婚約者から逃げてきた」と言っていたという。  笠戸丸の2年前、1906年、隈部三郎一家と日本から来た7人の青年の一人、有川新吉だった。  隈部は、改めて紹介する必要もあるまいが、元は鹿児島県の判事で ...

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