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宮坂国人 関連記事

昭栄奨学金2期生が報告=学生に二宮理事長がエール

報告を行なった奨学金の2期生4人と二宮理事長(右端)

 9月21日の国外就労者情報援護センター(CIATE、二宮正人理事長)主催の『CIATEコラボラドーレス会議』では、昭栄奨学金の2期生4人の現状報告が行なわれた。同制度は、帰伯した若いデカセギ経験者やその子弟を対象に、CIATEと宮坂国人財団が実施する奨学金給付プログラムだ。 戦後移住者の母が当地の治安に不安を抱き、宮城温子プリ ...

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NAKが支援歌謡祭=厚生ホームで終日賑わい

記念撮影する(左から)NAKの北川朗久名誉会長、北川会長、援協の菊地義治会長

 ブラジル日本アマチュア歌謡連盟(NAK、北川好美会長)が先月31日、「第10回サントス厚生ホーム支援歌謡祭」を同ホームで行なった。参加者数は約140人。オウリーニョス、プレジデンテ・プルデンテ、リンス、バウルーなど遠方からも集い、子どもから大人までが自慢ののどで会場を賑わせた。 宮坂国人財団の1万レ含め、約2万3千レの寄付があ ...

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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(17)=松原追って訪日する宮坂国人=横浜正銀の凍結金を流用?

『志村啓夫文書2012』にある松原安太郎の写真(右から2人目)

 松原がヴァルガス大統領からの移民導入許可を携えて、1952年11月に日本に赴くという報道が流れた時、《コロニアの元老達は「松原は何者ぞ」と慌てふためいた。早速元老達の会合が召集された。急報に接して集まった顔触れは、海興の宮腰、東山の山本、ブラ拓の宮坂、コチアの下元等の諸氏だった》『志村啓夫文書2012』(岸本晟)、278~28 ...

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昨年を大幅に上回る46人=文協で今年も白寿者表彰=「世話する家族に心から感謝」

来賓(最前列)と記念撮影する白寿者

 ブラジル日本文化福祉協会(木多喜八郎会長)は22日午前、99歳を祝う「白寿者表彰」を行った。今回は46人が対象となり、うち17人が本人自ら出席した。昨年の32人を大幅に上回る慶事となり、在聖総領事館の佐野浩明首席領事、飯星ワルテル連邦下議、羽藤ジョージサンパウロ州議ほか各日系団体から来賓が集って慶祝した。 会長代理であいさつに ...

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残りわずか!日本でのみ販売中 『百年目の肖像~邦字紙が追った2008年~』 

残りわずか!日本でのみ販売中 『100年の肖像~邦字紙が追った2008年~』 

2008年、日本とブラジルで祝われた日本移民100周年の記念事業をまとめた写真集『百年目の肖像』。ブラジル側ではすでに品切れとなっていますが、海外日系人協会(横浜市、045-211-1780、http://www.jadesas.or.jp)ではまだ販売中です。 お早めにどうぞ!

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お遍路の本をポ語で刊行=『No Caminho de Shikoku』=知られざる日本文化を紹介=二世の金子パウロさん=バイーアから四国、和歌山へ

新年号 ニッケイ新聞 2014年1月1日  「ブラジル人にとっては未知の情報。誰も知らなかった日本文化だと思う」。54日間をかけて四国八十八カ所、1200キロを歩いて回った記録をポ語でまとめた『Mais de 88 razoes para peregrinar No Caminho de Shikoku』(四国の道で、264頁、 ...

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救済会60周年と憩の園55周年

ニッケイ新聞 2013年12月21日 71年間も救済活動続け=戦中から邦人救護に専心  救済会の正式発足は1953年だが、その前身である「サンパウロ市カトリック日本人救済会」は1942年6月、戦争中にその活動を開始していた。コチア産業組合中央会のような食糧供給の国家的役割を担っていた農業組合を除けば、戦争中に日本人を名乗って活動 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇大戦編◇=(85)=東宮少佐が永田稠を「国賊」=満州に打ち込んだ調和的楔

ニッケイ新聞 2013年12月6日  海外移住組合連合会の理事長になった平生釟三郎によって、アリアンサ建設の功労者・梅谷光貞は、必死に進めていたパラグアイ拓殖計画を蹴られて専務理事を31年に辞任した。その後、32年から永田鉄山の依頼で「関東軍特務部の初代移民部長」に就任した。  『先駆者列伝』129頁には驚くべき情景が描写されて ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (70)=まるで内地のような政策=平生が乗り出し宮坂送る

ニッケイ新聞 2013年11月7日  《現在の「ブラ拓」移住地と称するものは、全部田付理事長時代に、梅谷氏の手によって、基礎付けられたというべきであろう》(『先駆者列伝』129頁)。梅谷は移住地を南米に分散させる主張をもっており、パラグアイにも43万町歩を購入して5千戸を移住させる計画を進めていた。  日本国内のように振る舞う内 ...

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第2次大戦と日本移民=勝ち負け騒動の真相探る=外山 脩=(80)  

  ニッケイ新聞 2013年9月18日    不可解な請願書  以下、サンパウロ及び地方で起きた事件をひっくるめての話だが、すべては状況誤認の連鎖から発生していた。  最初、邦人社会の殆どが、戦争は日本が勝ったと思った。すると、一部  の人間がそれを啓蒙すべきである……と、余計なお節介をやいた。しかも臣道連盟をテロ組織と錯覚して ...

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