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日系 関連記事

県連=旧援協事務所を購入か=結論は価格次第、慎重論も=日本祭りテーマは「食と健康」

ニッケイ新聞 2010年12月2日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)の月例代表者会議が先月25日に文協ビルで開かれた。新事務所としてサンパウロ日伯援護協会(援協)事務所のあった同ビル5階の購入を検討している件について、執行部が援協側の価格提示を待って判断する意向を表明。出席者からは慎重論も出た。  文協ビル3 ...

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大相撲=魁聖が十両初優勝=初の幕内力士誕生か=母国相撲連も喜びの声

ニッケイ新聞 2010年11月30日付け  先月28日まで福岡国際センターで開かれた大相撲11月場所で、ブラジル出身の魁聖(友綱部屋、本名リカルド・スガノ)が十両初優勝を果たした。来場所での新入幕が有力とする報道もあり、ブラジル人初の幕内力士誕生の可能性が高まってきている。訪日4年、十両昇進から3場所目で成し遂げた優勝。母国の相 ...

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生き生きと弁論、スピーチ=県連と日語センター初共催=藤野さん、滝浪さんらが優勝

ニッケイ新聞 2010年11月9日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(与儀昭雄会長)とブラジル日本語センター(谷広海理事長)は10月17日、広島県人会館で第4回弁論大会と第31回スピーチコンテストを開催した。国際交流基金、グローバル旅行社、宮坂国人財団が協賛。弁論の部に10人、スピーチコンテストに20人が参加し、個性豊かな発 ...

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日本祭り黒字は40万レ=県連=第14回委員長に前田氏=来年は創立45年の節目

ニッケイ新聞 2010年11月4日付け  ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)は10月28日、文協ビルで同月の代表者会議を開催した。7月の日本祭り(フェスチバル・ド・ジャポン)で約40万レアルの黒字が見込まれていることが報告されたほか、来年の同祭実行委員長に、前田ネルソン県連副会長(三重県文化擁護協会会長)が選ば ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《8》=サンタクルス=成長都市の日系人と交流=年2万%のインフレも

ニッケイ新聞 2010年10月30日付け  4日目の午前中はサンタクルス市内で、同国の植物学者ノエル・ケンプ・メルカドの名を冠した動物園を訪れた。コンドルや、アンデス高地に生息するリャマなどブラジル在住者には珍しい動物もおり、広々とした園内には多くの家族連れ。市民の憩の場になっているようだ。  中心部から8本の環状道路が広がり、 ...

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【特集 イタチーバ文協50周年】イタチーバ文協50周年祝う=前夜祭と記念式典盛大に=若者ら300人が会館埋め=踊りやプレート除幕

ニッケイ新聞 2010年10月29日付け  イタチーバ日伯文化協会(門馬ジョルジ会長)は創立50周年を記念して16日に前夜祭、翌日に合同慰霊祭と記念式典を開催し、会員や関係者300人ほどが出席し、市関係者もふくめ、青年会や婦人会の大活躍により盛大な賑わいを見せた。30年後に開封される予定のタイムカプセルに、会員らは思い思いの品々 ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《7》=サンフアン=半世紀かけて得た安定=「苦労したけど、今幸せ」

ニッケイ新聞 2010年10月29日付け  午後1時ごろ始まった交流会には約300人が参加。牛、豚、鶏、野菜など地元の生産物、ボーガという名の川魚やマスの刺身など、婦人会が腕によりをかけた料理がずらりと並んだ。  「これからもボリビアとブラジルの日系人で交流を深めたい」と与儀会長が感謝のあいさつ。澤元静雄副会長の発声で乾杯し、食 ...

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大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年10月29日付け  道もなかったサンフアン移住地でも、初期開拓の苦労の中、移住者は入植年の55年に学校を始めた。そのサンフアン学園は15年ほど前から同国文部省と協定を結ぶ半官半民の学校として、正課のほかに第二外国語として日本語を教える。現在の生徒は約230人。半数は日系だが、非日系でも能力試験3級に合格す ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《5》=解散危機もあったオキナワ=入植55周年のサンフアンへ

ニッケイ新聞 2010年10月27日付け  オキナワ第一移住地での交流を終えると、一行はバスで約40キロ離れた第二移住地へ。舗装道路は一転し、砂埃が視界をふさぐ土道だ。第二のヌエバ・エスペランサ校(島袋小百合校長)に到着すると、運動場で教師、生徒らが一行を待っていた。今年創立50周年。全校生徒120人のうち約3割が日系で、ほとん ...

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ボリビアで生き抜いて~第34回県連ふるさと巡り~《4》=日本人でもアメリカ人でもなかった=入植56年、いま「住みやすい」

ニッケイ新聞 2010年10月26日付け  16歳でうるま植民地へ入った比嘉さん。「とにかくひもじかった」と入植当時を思い出す。「再訪した人に『先見の明があった』と言われたけど、金がなくて出られなかったんですよ」と笑う。  父安栄さんの「団体から出てはいけない」という言葉を振り返り、「植民地は自分で開拓するもの。こんなものと思っ ...

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