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移民 関連記事

日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇戦前編◇ (41)=〃南米浪人〃岡田芳太郎=蝸牛の如く徒歩16万キロ

ニッケイ新聞 2013年9月7日  当時レジストロ地方の植民地開発の魅力は広く知れ渡り、世界から日本人が集まっていた。なかでもレジストロで客死した〃世界徒歩旅行家〃岡田芳太郎は、謎の経歴をもつ人物だ。  日伯新聞1933年2月16日付け「徒歩旅行家岡田氏 レヂストロで客死」「足跡南北米に普く 行程実に十六万キロ」との記事があり、 ...

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県連日本祭り、明日開幕!=『地球に優しい技術と進歩』=戦後移住60周年式典も

第16回日本祭り ニッケイ新聞 2013年7月18日  ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)が主催する『第16回フェスティバル・ド・ジャポン』が19日から3日間、サンパウロ市イミグランテス展示場で開かれる。今回のテーマは「地球に優しい技術と進歩」。初日には、戦後の移住再開から60年を記念した「戦後移住60周年記念式典」 ...

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やってきました今年も=ブラジル日本都道府県人会連合会 会長 園田 昭憲

第16回日本祭り ニッケイ新聞 2013年7月18日  そうです、世界最大規模の、県連主催「日本祭」フェスティバル・ド・ジャポン。  関係者の苦労、紆余曲折は限りなくありますが、今回もご来場の皆様に、新しい計画も含め楽しんで戴きたく思います。  日本企業を纏める特設ジャパン・ブース、盆踊り、食のブースの日本情緒豊な飾りつけ、移民 ...

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「ブラジルよ、ありがとう」=戦後移住60周年で表彰=36の功労個人団体に=日本祭り開幕会場に500人

ニッケイ新聞 2013年7月20日  1953年、日本人移住が再開されてから今年で60年目を迎え、ブラジル日本都道府県人会連合会主催の「第16回日本祭り」が幕開けした19日午前、会場のサンパウロ市イミグランテス会場にあるホールで、「ブラジル日本 戦後移住60周年祭」が開かれた。主役の戦後移住者を中心に、日系団体や当地の日本政府関 ...

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日本移植民の原点探る=レジストロ地方入植百周年 ◇前史編◇ (12)=日露戦争後一転する米国=ルーズベルトとブラジル

ニッケイ新聞 2013年7月9日  世界史から移民史を見た場合、やはり日露戦争(1904〜5年)は大きな転機だ。セオドア・ルーズベルト米国大統領(1901—09年)は日露戦争当時「親ユダヤ、反ロシア」の立場から日本に好意的だったと言われ、日本贔屓の証拠に彼は米国人初の柔道茶帯取得者で、東郷平八郎が読み上げた聯合艦隊解散之辞に感銘 ...

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■今週末の催し

ニッケイ新聞 2013年6月13日  土曜日(15日)  サンベルナルド・ド・カンポ「日本移民祭」、終日、CENFORPE(Rua Dom Jaime de Barros Camara, 201, Planalto, acesso pelo 20,5 da Via Anchieta)      ◎  生け花香月流50周年記念花展 ...

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移民の日に思うこと=ブラジル日本都道府県人会連合会 会長 園田 昭憲

ブラジル日本移民105周年 ニッケイ新聞 2013年6月15日  ブラジルの日本移民は今年105年、そして1942年から約10年間の移民空白の時代を経て、戦後の移住が再開されて60年になり、7月のフェスティバル・ド・ジャポンの会場で式典を行います。戦前、戦後を通じてブラジルに移住した日本人の数は25万人余、そして現在では150万 ...

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イビラプエラで慰霊法要=水野龍三郎さんも参列=サ・ゴンサーロ教会でも90人が祈り

ニッケイ新聞 2013年6月19日  ブラジル日本都道府県人会連合会(園田昭憲会長)の主催する『日本移民開拓先没者慰霊祭』が18日午前、サンパウロ市イビラプエラ公園の慰霊碑前で行われた。  在サンパウロ日本国総領事館の福嶌教輝総領事をはじめ、各県人会の代表者や日系団体関係者など約80人が出席し、先人の遺徳を偲んだ。  木原好規和 ...

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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 7…東洋街生まれの「フジエ」…中田 みちよ=第4回=深みのある男性像とは

ニッケイ新聞 2013年5月24日  4つの出来事が偶然かさなった。最初の髯。18歳の誕生日。トシの結婚。俺の茶色の帯。トシの新婚旅行はどこかの温泉地だった。トシタロウは所帯持ちになり、おやじは肥りはじめ、俺の髯は濃くなり、2回目の髯そりを要求している。3週間もトシタロウに会わない。虚しかった。リベルダーデのまちを何かを探すよう ...

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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 7…東洋街生まれの「フジエ」…中田 みちよ=第3回=めるくめくリベルダーデ

ニッケイ新聞 2013年5月23日  人生思いがけないことがあるもんですね。濫読もばかにしてはいけません。別件で『山本喜誉司評伝』を読んでいたら、このシネ・ニテロイ創立時に看板を描いたのが、日本初のイラストレーターとなった「長尾みのる」だということがわかりました。工芸美術大学をでたけど、日本は狭いし、舞台美術をやろうにも劇場はな ...

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