2006年11月23日付け
当日午前中に開かれたカロン文協五十周年式典。サンパウロ市ビラ・カロン区にある同会館には、五百人を超える来場者が集まり、連邦下議に当選した飯星ヴァウテルさん、野村アウレリオ市議、羽藤ジョルジ市議、文協の結城ルイス副会長ら多くの来賓が揃っていた。
あいさつに立った池森順治会長は「日本ではサムライの時代は終わったが、このカロンにはサムライが残っていた。彼らがこの会を作ったのだ」と諸先輩を顕彰した。
同文協には三百十家族が所属。半世紀にわたる歴史を、スライド写真百枚で投影。青年部やゲートボール部の活発な活動を紹介した。
昼食をかねた宴会に引き続き、アトラクションが行われた。厳かな広島神楽の一幕が終わった後、司会者から「今、空港から美川憲一さんが直接到着されました」との明るいアナウンスが流れた。
すると会館の入り口から、金色のまばゆい衣装に身を包んだ岡田弘樹さんがマイクを持って入場した。
いいえ、私はさそり座のおんなぁ──。池森会長によれば「本物そっくりの歌声だった。みんな本物が来たと思っていた」という。
ユーモアたっぷりに来場者のテーブルに寄って握手をしながら、徐々にステージに近づいていた。一節を歌い終わった間奏の間、突然、心臓発作が起きた。ゆっくりとマイクを持ったまま倒れ、周りは驚いた。意識を失った岡田さんはその衣装のまま病院に運び込まれ亡くなった。
池森会長はその時の様子を、「目の前で倒れてびっくりした。それまでは元気に歌っていたんですが」と表情を曇らせる。
グアルーリョス市在住の岡田さんは、カラオケの教師や審査員として知られており、「芝居もうまい」と評判だったそう。
十七日に事情説明に来社した池森会長は「当日は多大なご祝儀も頂き、心よりお礼申し上げます」とした上で、今回の事故に関して「当会としては、お悔やみの言葉もありません」と語った。
「有志の方々が気負って出演するために待機されておりましたが、そのアトラクションも中止となり、ご来場の多くの方々にはご迷惑をかえました。お詫び申しあげます」と平身低頭した。