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コロニア文芸賞授与式、山野優花さん提唱=「日本語」から「ポ語」へ=翻訳家育てる試みを=「私たち一世の思い死んでしまう」

2006年12月5日付け

 ブラジル日本文化福祉協会(上原幸啓会長)は、コロニア文芸賞および、学術研究費授与式、学術研究功労者表彰式を、去る十一月三十日、同会ビル貴賓室で開催した。今年の文芸賞受賞者は山野優花(本名・中田みちよ)さん。亡き娘(ユウコさん)を通して、日本人移民のブラジル社会への融合を描いた「わたしのクラシッキ」が選ばれた。山野さんは喜びを押さえつつ、「すぐれた文芸を残していくためにも、コロニアは翻訳家を育てなくてはいけない時期にある」と将来を見据えていた。会場には、約八十人の人が訪れ、受賞を祝った。
 一九六八年から始められたコロニア文芸賞。今年で三十八回目を迎え、昨年七月から今年の六月までに寄せられた応募作品中、規定を満たしていた十編の中から選ばれた。
 最終選考に残ったのは、「あしあと」(片山司蘭)、「限りなく遠かった出会い」(宮村秀光)、「句集『蜂鳥』」(富重かずま)、「ブラジル日系コロニア文芸・上巻」(清水益次、栢野桂山)と「わたしのクラシッキ」の五編。
 コロニア文芸賞委員会委員長の遠藤勇さんは「『わたしのクラシッキ』は、幸せとは言い難い環境にもかかわらず、作者の母として、また祖母としての愛情が実に明るい文章で書かれています。読んでほのぼのとした、愛情の感じられる随筆で、読む人も幸せな気分になれる、素晴らしい作品」と授賞理由を説明した。
 山野さんには遠藤委員長からプラッカが贈られた。山野さんは受賞に満面の笑みを見せながらも「もう日本語を読んだり、書いたりしない世代になった」と切り出し、「コロニアの有名な作品をポルトガル語に翻訳していかないと残らなくなってしまう」と危機感を示した。自分の体験、思いを子や子孫に残したいとして作品をつくるが、ポルトガル語に翻訳していかなければ「私たちの思いは死んでしまう」。
 「コロニアの作品をブラジル社会に通用するポルトガル語に翻訳できる人材、そういう翻訳の専門家をコロニアは育てていかなくてはいけない。翻訳家を啓蒙できる賞があったらいいと思って」と山野さんは提案する。「コロニアだけでなく、ブラジル側への道筋を開いていかないといけない時期にあると思います」。
 また、学術研究費補助金を受賞したのは、リカルド・クスダさん(神経生理学、USP)、ジセリ・シルバ・マツモトさん(病理学、USP)、エライネ・ハタナカさん(免疫学、USP)。「日系高齢者」研究奨励金はロザーナ・アウグスタ・B・ロッシ・パシェコさん(老人学、UNICAMP)に贈られた。
 学術研究賞受賞はアントニオ・ハッダドさん(生物細胞分子病原学、USP)、学術研究功労者賞には、エヌニセ・オバさん(獣医学、UNESP)、エミリア・サトウさん(リュウマチ学、UNIFESP)が選ばれた。
 サトウさんは「今は感謝でいっぱい。みなさんも問題や大変なときもあると思うが、それを乗り越えて頑張ってください」と、会場の研究者たちにエールを贈っていた。

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