2007年2月17日付け
「リベルダーデの中心であり、私たちの城だったシネニテロイの変わるものを作りたい」
ホテル、映画館、食堂があり、リベルダーデ形成の基盤となった「シネニテロイ」が東西線建設のため取り壊されたのは六八年。
「リベルダーデが二分する」と危惧した池崎会長は当時から、ビル構想案を練っていた。
設計を行ったのは、マッケンジー大学教授で建築家の平野カンジ氏。
リベルダーデ通りから、ガルボン・ブエノ街の大阪橋、グロリア街の三重県橋をまたぎ、コンセリェイロ・フルタード街の上塚周平橋までの東西線を覆う五万一千三百十四平方メートルが建設予定地。
パリの凱旋門状で地上十五階の商業複合ビル(ポルタル・ダ・リベルダーデ)、ショッピングや映画館のある娯楽施設、劇場などの文化施設と三つの部分に分かれており、駐車場は約千台を収容する計画だ。
この空間利用計画に関しては、野村アウレリオサンパウロ市議により、九五年九月に建設許可(LEI 11,867)が承認されており、「関連の条例もすでに認められており、法的な問題は全くない」と平野氏は説明、建設期間は三年ほどだという。 〇四年には、百周年協会に箱モノプラン「ポルタルダリベルダーデ」として提出され、ヴィラ・レオポルジーナに建設が予定されていた文化センター案の次点に選ばれている。
「百周年のゴタゴタでうやむやになったけど、ずっとこのプロジェクトを温めてきたんですよ」。池崎氏は同プロジェクトを「百周年事業の一環として承認して欲しい」と話し、近日中にも協会側と調整を行いたいという。
「協会のお墨つきがもらえれば市や企業からの見方も違う。あくまで、ブラジルサイドで建設、運営を行っていく」と自信を見せる。
資金計画の詳細は明らかにされなかったが、「一億レアルを計上する建設費用は、投資家を募りたい」とだけ説明。「リベルダーデを抜け殻にするわけにはいかない」と地元にこだわりを見せる。
実現すれば、間違いなく百周年最大のプロジェクト。池崎会長の手腕が問われている。