ニッケイ新聞 2007年9月21日付け
一九〇六年九月十日に熊本県で生まれた大原綾子さんは五歳のとき、父嘉一さん、母ミエさん、妹文子さんとともに一九一二年の第三回移民船厳島丸で移住した。
昨年十月に亡くなった最後の笠戸丸移民、中川トミさん後、第二回移民船旅順丸(一九一〇年)の生存者は現在確認できていないため、ブラジルに一番長く住んでいる一世、つまり〃最古移民〃だ。
ニッケイ新聞では、昨年綾子さんにインタビュー。ブラジル日本人移民の歴史とほぼ重なるその人生を振り返ってもらい、〇七年新年号に掲載した。
それからほぼ一年。同居している娘の翠さんによると、毎朝の楽しみだった邦字紙を読むことは、最近目が眩むため難しくなっているというが、それ以外は元気そのものだという。
三カ月ほど前、腰痛のため、投薬、リハビリ治療をしたが、あまり効果がなく二階の自室で臥せっていたが、一度針治療をしたところ、「痛みが軽くなった」と一人で階段を下りてくるほどの回復ぶりを見せた。
誕生日当日は、実に二十二人のファミリーが大集合、持ち寄りの料理に舌鼓を打ち、綾子さんの健康を願い、全員でパラベンスを合唱した。
日本にいる孫、アメリカの孫夫婦からも祝いの電話があり、長時間国際電話で近況などを話したという。
記者の「お元気ですね」の言葉に、綾子さんは「そんな特別なことではないですよ」と笑って返し、健在のお達者ぶりを見せた。