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日本でがんばれ!日系子弟=曲尾マイケ選手=プロ野球ヤクルトへ=育成ドラフト1位指名

ニッケイ新聞 2010年1月1日付け

 1908年、大志を抱いて海を渡った日本移民。移住先で艱難辛苦を乗り越えながら学校を作り、子弟を教育し、武道やスポーツを教えた。今では日系人はブラジル各地で政治家、軍人、医者、弁護士など様々な分野で活躍するようになった。一方では、日本で活躍する日系スポーツ選手も徐々に増えてきている。その中には約20年前から始まったデカセギブームにのって逆流した日系子弟も野球やサッカーの分野などで活躍を始めている。言わば、日本育ちの日系ブラジル人。そんな彼らの一人、東京ヤクルトスワローズから育成ドラフト1位の指名を受けた曲尾マイケ選手を紹介する。

 5歳で訪日し、青森山田高校のスラッガー(強打者)として俊足・強肩・強打の三拍子揃った曲尾マイケ(まがりお)選手(18、四世)が、09年10月、東京で行われた「2009年度新人選手選択会議(ドラフト)」で東京ヤクルトスワローズから育成ドラフト1位指名を受けた。
 マイケ選手はフルスイングで右方向へ鋭い打球を放ち、高校通算17本塁打の大型スラッガー。同校では2年から4番に座り、2度の甲子園出場に貢献した。
 マイケさんはサンパウロで生まれた。母の曲尾ロベルタさんは日本人とブラジル人のハーフ。まだ小さかった曲尾さんを置いて、ロベルタさんは神奈川県寒川町へ出稼ぎに来た。
 5歳になったマイケさんは訪日したが、日本での慣れない生活と、言葉の不自由さ、また「ガイジン」と言われいじめられ悩み、苦しんだ。
 小学4年生で地元寒川町の野球チーム、一之宮ストロングスに出会い野球を始める。当時を知る関係者によると、いつも一人で練習を見ていたそうだ。野球との出会いがマイケさんを変えた。寒川中に在学時は「寒川シニア」に所属し、3年時に強豪、青森山田中へ転校。強肩を武器に投手として頭角を現し活躍。最速138キロを誇った。
 進学してから、高校1年秋にベンチ入りしたが、ほとんど出番はなかった。高校2年にはレギュラーを獲得、春の青森地区大会では4番に座り、連日の猛打賞を放ち、東北大会出場へ大きく貢献した。
 2008夏の甲子園で全国デビュー。スライダーを逆らわずに打った打球がライト前に転がり初安打を記録した。2年生ながら3番レフトとして3試合にフル出場。2勝を挙げベスト16に入った。3年生の時には6番を打ったが初戦で涙をのんだ。身長187センチ、体重82キロと恵まれた体格の持ち主。50メートルを6秒1で走る俊足も見逃せない。
 球速154キロを投げる菊池雄星投手(花巻東高)で注目を集めた今年のドラフト。そんな中、マイケ選手は同校の校長室で澁谷良弥監督らとテレビでドラフトの中継を観ていた。
 同球団サイトによれば、入団会見で曲尾選手は「(アピールポイントは)常に全力でグラウンドを駆け回るところ。目標は青木選手です。打って走れて守れて肩も強くて何でもできる選手なので。対戦したいのはダルビッシュ有投手です。一日でも早く支配下選手になれるよう、一生懸命、ひたむきにプレーするので応援よろしくお願いします」と抱負を語った。
 マイケ選手はまずは育成登録から支配下登録への昇格を目指す。育成選手のつける3ケタの背番号から卒業することが目標だ。

俊足・強肩・強打=今後の活躍に期待

 09年11月20日付けの「タウンニュース」は、一之宮ストロングス時代の恩師・高橋則行さん(元監督)と中村智さん(元コーチ)を取り上げ、マイケ選手の実力や半生を語っている。
 毎日曜日に同チームの練習を見に来ていたマイケ選手に、中村さんが声をかけたことがきっかけ。試しにしたキャッチボールではあまりの肩の強さに驚いたそうだ。6年生の頃には遠投で81mを記録し、チームメイトの記録を約20mも上回ったそうだ。2人は「走力、打力ともに本当に凄かった。驚いた相手チームの監督がスピードガンを持ち出したのを覚えています」と嬉しそうに振り返った。
 そんな2人にとって、曲尾選手の今回のニュースは何より嬉しいニュースだ。高橋さんは「ミケ(曲尾選手の小学校の時の呼び名)には何より、お父さんとお母さんに感謝をして欲しい。そしてご両親を大事にすれば、プロ野球選手として、社会人としての成長に繋がる筈だよ」とエールを贈ったようだ。

 現在、野球の分野では東京ヤクルトスワローズの松元ユウイチ選手(三世、現在は日本に帰化)やヤマハ野球部の吉村カルロス健二選手、佐藤二朗(つぎお)選手、JR九州の田中マルシオ敬三選手ら日系ブラジル人の活躍が目立つ。さらに、ブラジル野球アカデミーの推薦で日本の高校には4人、大学には5人ほど在籍し将来のプロ野球選手を目指し頑張っている。

※育成登録・・・将来性のある若手選手などを育てるためのもの。プロ野球球団は、ペナントレースなどに出場可能な支配下登録選手が70人までとされている。

曲尾マイケ選手

サンパウロ生まれ。5歳で訪日、小学4年で野球を始める。身長187センチ、体重82キロ、50メートルを6秒1で走る。

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