ホーム | 連載 | 2017年 | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(12)アルゼンチン日系二世が文協会長

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(12)アルゼンチン日系二世が文協会長

日本祭りの最後に並んだ文協役員と主要スタッフ、来賓(マイクを持つのが玉田会長、右から7人目が後藤総領事)

日本祭りの最後に並んだ文協役員と主要スタッフ、来賓(マイクを持つのが玉田会長、右から7人目が後藤総領事)

 ロンドニア日伯文化協会の会長は、なんとアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの日系人、玉田マリエラさん(49、二世)だ。戦後移民の娘らしく、日本語が達者で、日本研修中にブラジル日系三世(サンパウロ州トゥッパン出身)の夫と知り合い結婚した。

 一時はサンパウロ市タトゥアペに住んで広島県人会の会員にもなったが、「仕事が忙しくて、活動には参加できなかった」と振りかえる。「両親がブエノスでは日系団体の活動に熱心だった。そんな姿をみて育ったから、自然と自分もそれが当たり前と思うようになった。でも、広島県人会にはたくさん協力者がいるから、『もう一人いる』ぐらいの感じだった」。

 医師である夫の仕事の関係で、10年前にポルト・ヴェーリョ(以下PVと略)に来た。「来てすぐ日系団体がないか探しました。子供が二人いて、日本語教室に通わせたかったから。来てみたら、ここでは自分でやるしかない、私がもっと手伝わないと、という切迫感があった。来て3年目から役員をするようになった」という。

 マリエラさんはサンパウロ市では「たくさんの一人」だったが、PVでは「私がやらないで誰がやる」に変わった。彼女のように、機会が与えられれば一皮むけてリーダーになれる二世、三世というのは、きっとたくさんに埋もれているに違いない。「コロニアの潜在力」だ――。そう思うと頼もしくなった。

 マリエラさんはいう。「実は2010年に解散する瀬戸際だった。会費が高いと苦情が多くなり、会員も減った。会長になる人がいなかったの。別の町ジ・パラナ市に住む非日系の会長が就任してくれ、ここで彼女を補佐するために私は文化部長になった。そして一生懸命手伝っているうちに3年前に会長になった」。

 同会の創立は1994年12月11日、今年23年目だ。BR364がアスファルト舗装された1983年の頃からサンパウロ州やパラナ州との物流が盛んになり、物が入るようになって町の産業構造が変化し、北パラナやサンパウロ州地方部から若い日系人が流入し始めた。それから、ほぼ10年で発足したわけだ。「役員は40~50代の三世が中心です」とのこと。

 その軸になったのが、9月13日移住地出身で地元に根を張った田辺さんのような戦後移民だ。

 現在は会費を徴収しておらず、活動に参加する「協力者」が50人ほど。日常の活動は日本語学校、合気道、和太鼓、Yosakoiソーランが中心。資金集めのイベントとして3カ月ごとにスキヤキ大会をする。マリエラさんは「多い時は500人ぐらい集まりますよ」とのこと。ほぼ赤道直下でもスキヤキは大人気だ。

 故郷巡り一行が到着したあと「日本祭り」の出し物は佳境を迎え、息の合った和太鼓やYosakoiソーランが披露された。それを見ながら、マリエラさんは「JICA青年ボランティアの中山美早紀さんが日本語教師として来てくれ、和太鼓、ソーランも教えてくれ、その活動が始まった。最初は太鼓がないからタイヤや竹を叩いていた。少しずつ太鼓を買いそろえて、今では12個ありますよ」とほほ笑んだ。JICAボランティアの指導が日系団体の主軸活動に育った好例だ。

 「日本祭り」を視察した後藤修二在マナウス総領事は閉会式で、「このような形で日本文化を広めてもらって本当にありがたい」と感謝の言葉をのべた。(つづく、深沢正雪記者)

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