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特別寄稿

書評「移民と日本人」=京都府在住 宮沢之祐

■わたしは誰か  ブラジルに来たのは誰なのか。ブラジル移民と、その末裔にとって、その問いは、「わたしは誰か」と同義かも知れない。  「移民と日本人」は、ニッケイ新聞の編集局長が、その問いの答を探った労作だ。副題に「ブラジル移民110年の歴史から」とあるが、その前史から国外に出た日本人の歴史を振り返る。  420年前、南米の地を踏 ...

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アマゾン日本人移民90年の歩み=ベレン在住 堤剛太=(6)

▼アマゾン地方と日本人とのつながり  ところで、日本人移民が入植するまでアマゾン地方に日本人は誰も居住していなかったのだろうか?  実は、1929年第1回アマゾン日本移民が入植した年には、同地方にすでに150名ほどの日本人達が居住していた記録が残っている。  これらの多くは「ペルー下り」の人たちであった。ペルー下りとは、ペルー国 ...

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アマゾン日本人移民90年の歩み=ベレン在住 堤剛太=(5)

 アマゾン地方への玄関口と呼ばれる、100万都市パラー州べレン市。アンデス山脈中に端を発するアマゾン河は、東へ一路6500キロの長い行程を経てべレンの北端を通過し、やがて大西洋の河口へとたどり着く。このアマゾン河流域だけでも700万平方キロメートルと、ブラジル国土の56%の面積を占めているのだ。  この広大なアマゾン地域へ、戦前 ...

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花の歌謡祭=コロニア歌手が彩る豪華ステージ=令和祝い、昭和・平成の名曲次々に=北川さん、野口総領事も熱唱

 コロニア歌手総出演の豪華なステージ――ブラジル日本アマチュア歌謡連盟(Instituto NAK do Brasil=INB、北川ジューリア好美会長)、藤瀬圭子プロダクションは共催で「花の歌謡祭」を4日、ブラジル日本文化福祉協会ビルの大講堂で開催した。厳しい寒さと雨を吹き飛ばすように約千人が来場し、令和最初の歌謡祭に観客は大喝 ...

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ソサエティー5・0へ向かって ロベルト・セニーゼ・リスボア

「ポスト工業化社会」(脱工業化社会)は、可能な限りのデータ共有、つまり、デジタル共有やデジタル連帯に基づく情報化社会のことをいう。  1960年代以降のように、情報に対する経済的・政治的・社会的な重要性が生じたことはなかった。1963年には、文化人類学者で歴史家の梅棹忠夫をして、先駆的に、ポスト工業化社会(脱工業化社会)は、サー ...

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『移民と日本人―ブラジル移民110年の歴史から―』を読み解く―「ブラジル」日本移民研究への新たな視点―田所 清克/久保平 亮

 1908年4月28日、第一回ブラジル日本移民の781名を乗せた移民船「笠戸丸」が神戸港を出帆し、6月18日にサントスに到着してから今年で111年目を迎えた。この間、紆余曲折を経て、今日ではおよそ190万人を擁する世界最大の日系社会がブラジルで築き上げられている。過日7月8日には、こうしたブラジルにおける日本移民の先達たちのこれ ...

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22年、次期大統領選は開始された!=ポルト・アレグレ在住 杉村士朗

 7月3日付週刊誌「ヴェージャ」は、「2022年はすでに始まった」と題する、同誌記者による解説を掲載した。「ボルソナロは就任6カ月後、高い失業率と停滞する経済のなか時期尚早(かつ無謀な)再選運動に身を投ずる」との副題がついている。  ボルソナロは「ブラジルを略奪したPT(労働者党)に再度国を渡してはならない」との強固な信念をもっ ...

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アマゾン日本人移民90年の歩み=ベレン在住 堤剛太=(4)

南米拓殖発足  1928年8月11日、創立総会を開き資本金1千万円の南米拓殖株式会社が設立された。鐘紡が主な出資先で、一般株主の総数は5422人を数え、南拓の取締役(社長)には、鐘紡重役だった福原八郎が就任した。  南拓の設立目的は、日本の将来の人口増加を見込んでの食糧供給基地の確保で、10か年計画で1万戸(各戸25町歩割当)の ...

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アマゾン日本人移民90年の歩み=ベレン在住 堤剛太=(3)

 では、なぜ第一回移民達はリオで「もんてびでお丸」から「まにら丸」へ乗り換えたのだろうか。それは、日本から南米への往路コースは次のように決まっていたからだ。  神戸を出ると、香港、サイゴン、シンガポール、コロンボ、ダーバン、ポートエリザベス、ケープタウン、リオ・デ・ジャネイロ、サントス、ブエノスアイレス。  と、言う事で「もんて ...

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アマゾン日本人移民90年の歩み=ベレン在住 堤剛太=(2)

 同船は、ベレンの町のVal de Caes地区(空港付近)の対岸にある小さな島フォルチーニョ島の後方を流れるミーナスゼラエス水路に停泊した。この辺りは、グァジャラー湾内で水深が一番深い場所(7mから10m)で、移民一行は翌朝から河船でベレンの町へと向かい、上陸を開始している。  これまで筆者は、まにら丸が停泊した位置はベレン郊 ...

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