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安慶名栄子著『篤成』(41)

 いつも仕事に追われ、雑誌や新聞はおろか、本も読まなかったので、物知らずな私は、「クスコ? クスコってどこにあるの?」と聞きました。「ペルーだよ。マチュピチュと同じところだよ」と父は直ぐに答えました。  やっとわかりました。マチュピチュという名前は聞いたことがありましたが、どこにあるかさえ知らなかったのです。そして行ってみました ...

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安慶名栄子著『篤成』(40)

 クリチーバでは、父は本当に物知りだという事を思い知らされました。その歴史を探るために町巡りをしたかったからです。パラナグァーの電車に乗った時に父は、その線路の開通式の初運行には、安全確認のためエンジニアが一人で運行したという事まで知っていました。  様々なところへの旅は、父を喜ばせようとして始まったのですが、どこでも変わった所 ...

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安慶名栄子著『篤成』(39)

 父の親友が亡くなった後も、私たちはよくバウルーまで行って新垣さんのご家族の皆さんを訪ねて親しく付き合いました。さまざまな時代の様々なきっかけにより、バウルーという町はとても親密な場所になりました。  私は数回スペインへ行く機会に恵まれましたが、そんなある時、バウルー出身のマルシアという方に出会い、彼女は私の家族全員と親しくなり ...

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安慶名栄子著『篤成』(38)

 するとパイロットは着陸する前に首都の上を一周して下さいました。上から見るブラジリアの眺めは誠に見事でした。世界に名の通る建築家ニーマイヤーの建築物を父の側で空から眺められた経験は生涯忘れません。  父が85歳を迎えた時、サンカエターノ・ド・スールのとあるクラブで大きな祝賀会を催しました。父には内緒でした。その時のために20年以 ...

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安慶名栄子著『篤成』(37)

 大田司令官はほかの将校たちと海軍壕の中で自決しましたが、その日の数日前に、沖縄県民の悲惨な状況を見過ごせないとして、「沖縄県 民斯く戦えり、後世に特別のご高配を賜らんことを」と苦しんでいる県民への後世の支援を懇願する電報を日本海軍次官へ送っていました。こ の電報は後に有名になり、沖縄の人々は大田司令官への深い敬意と感謝の気持ち ...

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安慶名栄子著『篤成』(36)

 私はマリオの家から10分位の所に住んでいましたが、家に着いた途端に電話が鳴ったのでびっくりしました。マリオの妹でした。彼が急に具合が悪くなったので来てくれないかとの電話でした。数分も経たなかったがすでに手遅れでした。30分ほど前まではにこにこしながら皆を相手にし、来てくれてありがとうと、幸せそうな笑顔でドアのところに立っていた ...

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安慶名栄子著『篤成』(35)

 父は口癖のように「従業員への感謝の気持ちだけは忘れるな。1人だと手が2つしかないけど、従業員がいればそれが200にまでなる。常に感謝しなさい」、といつも言っていました。  洗浄加工の方でも若い青年たちは皆とても努力家でした。必要に応じて夜通しで働き翌日の配達に必ず間に合わせるのでした。文句一言も言わずに。  乾燥の方にも大変な ...

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安慶名栄子著『篤成』(34)

 私とマリオが前に座っており、後部座席には残業をして遅くなった運転手が乗っていました。彼の家はちょうど私たちの通り道にあったのです。  黒人の彼は冗談がとても好きでとっさに「誘拐だ」と答えましたが、マリオもすぐに、笑いながら「ああ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」と言いました。警官も安心したようで別れを告げ、行ってしまいまし ...

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安慶名栄子著『篤成』(33)

 すると、誰かから、「じゃあ、手分けして、交代でその日のおかずを持ってくるようにしたら」という案が出されました。  「僕は卵を持ってくる!」と、即座に運転手の方が言いました。「私は野菜を!」とか、「私はソーセージを!」と、あちこちで意見が飛び交い皆大賑わいになってしまいました。  和気あいあいの雰囲気で、常に「品質、時間厳守、誠 ...

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安慶名栄子著『篤成』(32)

 彼は私に過マンガン酸塩の使い方をすべて教えてくださいました。そして私たちも自分たちが使用している次亜塩素酸塩の事を詳細に教えてあげました。それは彼の国で禁じられている物質に代わる最適なものであり、彼は本当に感謝して帰りました。  でも、実際には私の方が愕然とし、かつ感謝いっぱいでした。過マンガン酸塩を使い始めて、私たちの生産量 ...

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