ホーム | 文芸 | 連載小説 | 繁田一家の残党 | 繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(22)

繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(22)

 おやじも大喜びで、みんなに連絡してくれたらしく東京本社と横浜支店の幹部が大桟橋に集合していた。
 横浜支店経理課長をしていた同期の浦野君が支店技術部長の岡本さんと二人で、ワイにとっては日本最後の昼飯をご馳走してくれた。
 見送り人の中には、後年に東芝メデイカル・ド・ブラジルを創設し、日本に帰国後も海外業務の基盤を築き、専務まで昇進した星合泰宏君も居たらしい。
 子会社では生え抜きの最高位は専務で、全子会社の社長には親会社からの天下りが順送りされてくる。
 日本最後の夜は船に戻らず、おやじと山下さんの東京のアジト・三田東急に泊まった。ここは日本最初の高級マンションで、おやじ達、稲門仲間の石田博英(石橋内閣官房長官、岸内閣労相)事務所もあった。
 おやじと博英氏は宝塚くずれの溜まり場、東京は新橋烏森の飲み屋「川太郎」に連れて行ってくれた。別名「在郷美人会」の看板をあげたこの店の常連は清川虹子、水ノ江滝子、丹下清子等そうそうたる女傑ぞろい。日曜娯楽版の常連や、山下さんの様な自称宝塚フアンが酒を飲んで賑やかにオダをあげていた。
 運のいいことに、丹下さんの二人の娘がサンパウロに住んでると紹介された。
 姉の節子さんが日本舞踊の師匠をしながらナイトクラブのマネージャをしてた。サンパウロに着いてからは、同船者で下宿も一緒になった真藤進君と催氏と一緒に、度々節子さんの家に転がり込みビールを飲んだ。そこに居候していた東京愚連隊の上野隊長が、空瓶を持ってビールを買いに走る毎日。
 上野さんは料亭「青柳」通称「ヘスタウランチ・パパイ」ずばり“居酒屋親父”でドラムを叩いていた。
 上野さんは非番の日に、節子さんの職場「クルービ・イチバン」に連れて行ってくれた。われわれ3人は、マネージャの選んだ世界一美しいと称せられるモレーナ(白人と黒人の混血女だが比較的色白)を、近くのモーテルに連れ出した。
 一発目は女の腹に暴発、日本女性に比べて太腿が太過ぎるので2発目は松葉崩し、3発目はドッグスタイルで初めての南米娘を堪能した。
 これまさに、所変われば品変わるなんて書くと「女性を品物扱いするとは!」とリニューアル軍団の隊長・鈴木智春女史に又お叱りを受けるかな? 寓話作家の智春先生は、若い頃アメリカ留学中に遊びすぎて性病に罹り、あまりにも痛くて、しばらくはセックス出来なかったとか、こりゃ繁田一家とは関係ないな。
 そやけど「臭い女ほど味がええ」どっかで聞いたセリフや、そやそや読売テレビ夜のトークショー番組「11PM」の司会者・藤本義一や。あいつはワイと大学の同級生で、あまり教室には顔を出さず演劇部の部室に通学しとった。
 ワイもプール直行で授業には殆んど出なんだよって人のこと云えんけどな。この話は、フクダ電子の筆頭常務原口さんに聞かせたい。原口さんは「臭い女とは出来ませんのや」と、よう云うてはった。
 長崎で医療機業界に手入れがあった際、ワイと福田エレクトロの所長してた原口さんだけが白やった。いくら叩かれても出る埃が無かった。
 ところが、ワイが離日して1年後、大学病院の正門前に新築なった石崎器械店から発した汚職事件で病院側も業者側も一網打尽になったと聞いた。

image_print