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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(20)

 その翌年、仙台で開催された健康保険水泳大会に、田中嬢とワイは同じ福岡県チームの代表として出場し。アイスクリームを食べながら将来を話し合ったが、お互いうまく噛み合わず、ワイは失恋した。
 仙台では福岡県代表の宿舎で黒佐氏の弟と同室になり、ワイが寝言で聡子のうわごとを言ったと兄の黒佐氏に告げられた。
 支店長の宍倉さん、次長の高橋忠さん、駆け出しの頃に東芝トレーニングスクールで共に学んだ西条君他仙台支店の連中が、30歳以上平泳ぎで“一着ハナブサ君・東芝放射線”のアナウンスにワイが優勝したと勘違いして、東北随一の料亭で一席設けてくれた。
 予選で一着になったので翌日には決勝があるが、せっかくの招きを断るのも悪く飲むめや唄えの、どんちゃん騒ぎになった。
 翌日時間ぎりぎりで駆けつけた決勝では、二日酔いのせいで溺れてしまいゴールインできなかった。
 宍倉さんは「支店長会議で繁田さんの隣に座ると、酒臭くてかなわん、親分が親分なら子分も子分。それならそうと云ってくれれば一日後に祝勝会が出来たのに・・・。水泳選手がプールで溺れるなんて前代未聞だよ」と、云われた。
 宍倉さんは本社で役員歴任後定年になり、東京・目黒の三条侯爵邸跡に建ったデラックスな病院ホテルに投資されたが経営がうまくいかず大損されたと、聞いた。
 後日談になるが、その隣の三条パレスマンションには、今でも繁田未亡人が暮らしており、ワイは訪日の都度おやじの仏壇にお参りする。福岡の寮で暮らしていた頃、おやじは「俺が死んでからお参りしてくれるのは誰か、大体見当がつく」と、いつも言ってたが奥さんの話では、ずばりその通りになったとか。
 おやじの墓は御殿場にあり遠いので、ワイは墓参は一度しかしてまヘん。
 「俺並みに運転手付きの地位にまでなれるのは、仁科ぐらいなもんじゃ」と、おやじはよく云ってってたが、事実そのとおりになった。
 仁科は、中部支社長になり名古屋で運転手付き、定年後は東芝メデイカル九州サービス社長として出向し、今は4人の孫の爺様。
 おやじは3年目になって、やたらに四国の輩下を移入しだした。
 サービスの麻植、寮の居候に浜野のみっちゃん、北九州に『薄禿』の川上。居候のみっちゃんは、若い寮母が「浜野さんは出勤もせず、一日中焼酎ばっかり飲んで寝てるので気味が悪い」という得体の知れない存在。
 そやけど、誰もおやじに訊き出す者は居なかった。汚職か何かの責任をかぶらされるような事情があって四国に居れないので、冷却期間、おやじが身柄を預かってたとワイは思う。
 北九州に、うだつの上がらん大里というセールスマンが居た。渾名は『岩風』、入社当時は釘さんの許で営業見習させられてるのに、達磨さんの運転する助手席で鼾をかく始末。動かぬ達磨があきれるぐらいの動かない人物。
 そいつの叔父でハワイ2世の梶原氏が、ニューヨークのジェトロの仕事で福岡に出張して来た。
 同氏の上司が徳山二郎氏、やはりハワイ2世で当時のジェトロ・ニューヨーク所長。後年、野村総研社長になった有名なエコノミスト。

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