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中島宏著『クリスト・レイ』第63話

「最悪の場合は、この地を離れなければならないことになるかもしれないわね。
 この地での生活の基盤が脆いものであれば、いつまでもこの土地にしがみついているわけにもいかないでしょう。その場合はつまり、集団でここから出て行くことになるわね。もちろんそれは、ここで生きていくための、すべての選択肢がなくなったという場合に限るということだけど」
「もし、仮にそうなれば、今まであなたたちの先祖が、日本で守り抜いてきたあの、隠れキリシタンの流れはどうなっていくのでしょうか。このブラジルへ来たことによってそれが止まってしまうということにもなりかねませんね。その辺りはどうなのでしょう。せっかくこうして立派な教会を建てながら、それをすべて捨ててしまうのも、何か矛盾しているようにも思えるけど」
「その場合はね、マルコス、すべてを捨てるという意味にはならないの。たしかに教会からは離れなければならないことになるけど、でもそれは、捨てるということとは違うわ。ここは、一つの拠点、地理的なものだけじゃなく、心の拠点というふうに私たちは理解しているの。ここから離れて遠くの地にいっても、この教会のことは常に私たちの心の中で生き続けていくということね。
 もちろん、半永久的にこの教会が、そのままの形で継続されていくことが一番いいけど、でも、現実の世界にはそれなりの厳しさがあるから、それが必ずしも叶えられるとは限らないわ。その辺りのことは、私たちもいつも覚悟しているというところはあるわね。
 つまり、この教会堂という建物は絶対的なものじゃなくて、象徴的なものと言ったらいいのかしら。本当に大事なものは、私たちそれぞれの心の中に存在してるといったらいいかもしれないわね。だから最悪の場合、仮にこの教会の存在がなくなったとしても、それによって、私たちの存在までが消えてしまうということはないわけね。
 どうかしら、こんな説明で、その辺りのことがマルコスに理解できるでしょうか。ちょっと焦点がボケているかもしれないけど」
「ああ、よく分かりますよ。そういう心境は、僕にだってちゃんと分かりますね。
 ただ、僕たちの場合はアヤたちとは違って、過去にそういった迫害を受けた歴史がないし、今の僕たちのカトリック教会が消えてなくなるなどということも考えられないから、そこまで真剣に教会の将来のことを思うということはまず、あり得ないことだけど。
 まあ、僕の場合はあまり深く考える方じゃないから、ちょっと意見が合わないかもしれないし、場合によっては怒られるかもしれないけど、教会の存在というのは、自分にとってそれほどの重さを持ってはいないという感じかな。
 だから、さっきアヤも言ったように、教会というのは言ってみれば象徴的なものだという意見は、僕にとっては何の抵抗もなく、すんなりと受け入れられるという感じがありますね。もっとも、こんなことを神父さんに言ったら、全面的に否定され、その上、説教されることになると思うけどね」

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