ニッケイ新聞 2010年10月29日付け
日本語教育が生き残るには、学校を中心に地域コミュニティ全体が支える仕組みを作る必要があることを痛感させるシンポジウムだった。日本語センター創立25周年記念シンポ「10年後の日本語教育を考える」で、地方文協の懸命な取り組みを聞き、実に頭が下がる思いだった▼インダイアツーバでは教師の待遇改善をしてレジストラし、1400レアルを払っている。安部誠同日本語学校運営協議会会長は、「文協に日本語学校がなくなれば、文協自体もすぐになくなる。日本語学校がなくなれば日本文化を維持することは難しくなる」と考えている。日本生まれで3歳で渡伯。講演はポ語だったが、むしろ日本語への想いが人一倍熱いことが伝わってきた▼バストスではタマゴ祭りの3日間に、文協が協力して毎晩12時までオムレツを作って売り、その利益を学校運営に役立てている。なんと7千食を売り上げるというから半端ではない。しかも10年間だ▼スザノ日伯学園建設の功労者である東ルイスさんも、「会員をどう増やすか。我々は最初から文協立て直しのために学校を作ると発想した。97年に構想し、お金がなくて開校は06年と時間がかかったが、今は生徒数360人。ブラジル教程に日本語を入れるから生き残れる」と論じた▼発表を聞きながら丹羽義和同センター事務局長は、「本邦研修などに送ろうとセンターに申し込んでくる子供の一人一人が、そうやって地方で苦労して教育を受けているのかと思うと、涙が出そうだった」といって目を潤ませた。日系社会の将来は日本語教育にかかっているといって過言ではない。(深)