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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年1月13日付け

 愛読者から「非常に参考になる欄」との声を聞く本紙「ニッケイ法律相談」の今週号で、「加害者は自分の身を守るためにウソをつくことが許されています。不利な証拠は隠しても罪にならないのです」との説明を読んで、目からウロコの心境だった。ウソをつくことは加害者の〃権利〃なのだ▼思い出されるのは、2000年前後に静岡県浜松市付近で連発した、殺人事件や交通事故を起こして帰伯逃亡したブラジル人の件だ。一人だけ事実関係を認めたが、残りの容疑者は全員容疑を否定した。あの時、犠牲者家族は「本当のことを言って」「自ら日本に戻って謝罪して欲しい」とことあるごとに訴え、日本のメディアもそのまま繰り返し、その報に接した日本人一般は「ブラジル人は容疑を認めない、ウソつき」という印象だけが広がった▼当地の事件を見ていても、容疑を認める犯人は実に少ない。「加害者にはウソをつく権利がある」としても、現行犯で逮捕されてすら容疑を否認する場合があるから驚く。因果関係としては、そのような法思想の前提には「性悪説」という精神文化があるのだろう。人間は生まれたときから性悪な存在であるとの思想だ。特にカトリックにはその雰囲気を感じる。日本人的には、それでいいのかと根本的な疑問も感じるが、それが文化であれば善し悪しの問題ではない▼日本の日本人には性悪説という文化自体がよく認識されていないので、なぜ「ウソをつくのか」まで踏み込んだ理解に行き着かないことが多い。「話せば分かる」という〃美しい世界〃が日本のドラマには溢れているが、現実の西洋文明では通用しない。(深)