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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年8月9日

 今後、上院では倫理が求められない——エスタード紙6日付けには、上院議員就任時に読み上げる行動指針宣言文から、「倫理」という言葉がはずされると改正委員会のロボン・フィリョ(PMDB)提案役が報告したとあった▼同上議は外した理由を「あなたの倫理は、私のと違う。倫理は主観的、抽象的すぎて問題を起こしやすい」と説明し、記者の「倫理ある振る舞いをする必要がないのか?」との問いに「無いと思う」と率直に答えた。この記事を読んで、倫理を宣誓するのは耐え難いと思うほど、政治家の内心は実は〃正直〃なのかと感心していた▼下々たる国民の代表が議論をする場が下院で、上院はそれを専門家や有識者という上の視線から議論し直す〃良識の府〃だと思っていたが、どうも違うようだ。と同時に、就任時に上議親族の資産公開を義務化する案も「私的権利の侵害」だと否決された。どうやら上議は自らを〃公人〃と考えてない▼その「倫理なし」報道批判を受けた同上議は意見を変え、その文言を戻すことにしたと翌日の同紙にあった。しかも「倫理とは誠実さのことであり、議会活動においては空気のように内在している」とのコメントまで…。仮にも倫理ある人なら、一晩にしてこうも言を翻すだろうかと呆れた▼「トマ・ラ、ダ・カー」(それを取れ、代わりにこれをこっちに寄越せ=引き換え主義の政治交渉)をしないと言っていたジウマ大統領すらも、先日巨額の議員割り当て金の振り出しを約束し、代わりに法案成立への協力を訴えた。ああ、〃倫理ある議会〃では、法案はそれ自体の意義によって評決されるのではなく、金銭授受の結果なのか。(深)