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当たり前の事が当たり前でなくなる時

 蛇口をひねれば水が出る。スイッチを入れれば電気がつく。買物に行けば、いつもの棚にいつもの品がある。我々の日常には、「当たり前」だと思っている事が本当に多い▼だが、本当に当たり前だろうか。水危機が言われない年でも、少雨の時期は輪番給水で何日かに1日断水する事はザラだったし、トラック運転手のスト中は無論、スト解消後も、買物先で欲しい品が見つからないという事態が続いている。ブラジルでは同じ場所に同じ品があるとは限らない店が多いが、卵や牛乳が品薄になり、値上がりしているのは、ストの最中に餌不足で家畜類が死に、卵や牛乳も処分せざるを得なかった事が原因だ。ストのために火力発電用の燃料が届かず、停電が起きた地域もあったし、スト中の生産停止で品薄の品も多い▼逆に最近は、地球温暖化などで、時期はずれの寒波や大雨も当たり前の出来事になりつつあるし、南極などの氷が解けて水位が上昇し、浸食で海岸線が変わってしまったという報道も頻繁に見受ける。予防接種の普及で病気が減ると、予防接種を受ける必要はないと思う人が増えるのもまた然り。当たり前の事が当たり前ではなくなり、当たり前ではなかった事が当たり前になる不思議だ▼これらの出来事の大半は人間が招いたもので、予防も可能だ。事が起きれば、迷惑や被害を被る人が多い事も推して知るべしだ。だが、今あるものに満足し、感謝する人は少なく、水不足や品不足が起きる前に供給源確保を考えられる、大局的な見方が出来る人はごく僅か。国や世界の方向を決める指導者にはせめて、大局的な見方や展望をと望みたいが、自己保身や自己利益を望む人が多過ぎる…。(み)