ホーム | コラム | 特別寄稿 | 特別寄稿=日本定住化30周年記念=ブラジル人や外国人に住宅建設販売=群馬県大泉町のみらい建設=日系人初、実績は数百棟も=カンノエージェンシー代表 菅野英明

特別寄稿=日本定住化30周年記念=ブラジル人や外国人に住宅建設販売=群馬県大泉町のみらい建設=日系人初、実績は数百棟も=カンノエージェンシー代表 菅野英明

家づくりで多文化共生社会を支える

小山武リカルド社長

 みらい建設株式会社とは、新築住宅、内装工事、店舗の改装、不動産仲介などを行う会社だが、新築住宅の販売と受注、設計・施工が取扱高の80%で事業の中心になっている。住宅不動産という日本的な商慣習の強い業界で、創業以来18年間にわたり事業を継続している。
 ブラジル人を中心にした在日外国人市場に特化した会社で、その施工実績は全国規模で数百棟に達する。豊富な受注実績と設計や施工、アドバイスなど信頼のコンサルティングを誇り、家づくり一筋でここまでやっている日系社会の会社と経営者は日系人19万人の中でも同社と小山だけだろう。
 在日日系ブラジル社会の中で、みらい建設の誇れるオンリーワンは、建設業と宅地建物取引主任者の許可と資格を初めて取得したエンジニアになる。そして誇れるナンバーワンは全国規模の施工展開を行っていること。
 みらい建設とは一言でいえば、家づくりを通してブラジル人と外国人のために尽くし、誠実を貫くプロフェッショナル集団といってよいだろう。
 創業経営者の小山は、来日した1990年から2004年まで建設会社の社員として、建築現場監督で働いた。この業界の体質や構造、技術、施工、建築ノウハウ、人間関係などの習得に15年かけた。家づくりという目標実現のために忍耐と不動の自立心、そして諦めない不退転の決意で取り組んだ結果だろう。
 みらい建設株式会社の社名の由来も、日本国内にいる外国籍の人の「いまと未来(みらい)の生活文化と生活向上のために、その手助けをしたい」という熱い願いが込められている。
 小山武リカルドはサンパウロ生まれの日系三世だが、持っている精神文化は祖父母からの血を引く日本人の価値観をバックボーンにしている。特に『信用』『誠実』『アフターサービス』は、お客様や取引先から高い評価を受けている。

コロナ禍時代を生きる

 会社はコロナ禍が1年以上続いても赤字を出さずに経営している。
 小山は「良い時や悪い時など、どんな時でもお客様を尊敬して対応していること、この考えは創業以来いまも全く変わらない」ことが経営の安定につながっている。
 コロナ対策としては「事務所の換気、アルコール消毒、マスクの着用、ソーシャルディスタンス、フェイスシールド、各社員と自分のコロナに対する意識、社会責任、家族責任、それぞれ意識を持ってもらいコロナ危機に対応している」という。
 2008年のリーマンショック後とは異なり、1年以上続くコロナ禍で在日ブラジル人社会のきずなと助け合いは強まっているが、仕事を通してそれを実感できるかを聞くと、「コロナが最初は大都市に影響があり、時間が経つにつれて全国に影響が広がっていったが、それをブラジル人社会のネットワークのお陰で全国の影響を知ることが出来た」。

ブラジルの経済混乱期でも夢実現に向かう

 人々に生活文化の潤いと快適な生活を約束する持ち家。小山はサンパウロの少年時代から人々を幸せにできるこの家づくりが夢だった。その建築士の資格をとるためにサンパウロのマッケンジー大学建設学部を選んだ。
 「家計が苦しい中で両親はよく大学を出してくれました」と小山。当時のブラジルは「失われた80年代」といわれた経済混乱期だった。インフレは毎年1千%以上、1千分の1のデノミが3回、物価は毎日2回も3回も上がった。
 ブラジルから日本へのデカセギブームになったのはちょうどこの80年代の後半からだった。3年間日本で働けばブラジルで家が一軒買えるほど、世界的にも日本円は価値があり当時のブラジル通貨は弱かった。

小山武リカルドの経営心得

 1990年4月の来日で、昨年日本定住30周年を迎えた小山。日本に来た目的とその理由は日本の建築技術を学ぶことだったか、日本の技術とアメリカの家づくり技術は共通点がたくさんあり、さらに日本で建築業の許可を得られたので定住化を決断した。
 当初は日系人に騙され苦労したが、日本社会でも評価を受けていた建築コンサルタントとして、需要サイドの個人客から持ち家をどうしたらよいか、という多くの問い合わせと相談があった。そのため、自分が日本とブラジル両国の文化を熟知し、日本語・ポルトガル語・英語ともに言葉の問題も理解でき、ブラジル人のお客様に家を提供したいと思ったことが現在につながっている。
 小山の経営者らしさは日常どのような所で分かるかを聞くと「必要なら社員と共に行動すること」「社員の悩みには出来るだけ早急に解答すること」だった。
 また過去、経営的な失敗をしたことはあるかについては「人を信用しすぎたこと」「失敗から立ち直った理由は絶対に諦めない心を持ち続けたこと」という。
 創業経営者として会社をここまで成長させたが「1人ではなにも出来ない、成長できたのは、お客様、社員、協力業者の支えのおかげだ」と感謝の心を忘れない。
 日系人やブラジル人から小山への評価を聞くと、「その人の人生経験を理解できること」「誠実で謙虚なところかな」 「小山なら信用できる」との答えだった。
 苦労話は「人々のブラジルの出来あがったイメージを断ち切り、そこから信頼へ持っていくまでが大変だったこと」。成功話は「18年間続けられてきたこと」。
 この商売がこれならやっていけると確信した時期は創業期の2003年で、その理由は「木造り、鉄骨造り、コンクリート造りなど、材質や建築方法は異なっても施工できると思ったこと」「見積もり作成段階で価格競争に勝てると思ったこと」だという。

座右の銘(小山会長が大事にしている言葉)

全社員が一丸となって未来づくりに取り組んでいる

 経営者としては正直、忠義、正直ではない人には未来がないから。自分の人生としては勤勉、協和、一生勉強、それはいまの人生や経営にそのまま役立っている。
 経営に関しては、「両親と尊敬していた伯父さんから、言葉だけでなく行動で示すことが大事だと教わり役に立っている。例えば・正直だけでは人から利用される。経営者にはそれ以上のモノが必要だ。サラリーマンで満足しないように、時期があれば起業できるように常に準備をしてきた」。
 人材育成策は「ひとりひとりの個性を理解し、それぞれの能力に見合った作業を与える。社員はブラジルの日系二世が中心で人に恵まれたと思っている」。
 『信用と誠実さ第一』の経営信条をバックボーンに、中古住宅の仲介であってもその裏にはお客様との信頼が極めて大切だ。約束したことをしっかり守ればお客様との信頼が深まり、それが次のお客様へと繋がる、『言ったことは守る、約束したことは守る』ことは弊社の、そして私のモットーだ」。

情報力強化と日伯関係

 自分の夢を実現するために日本に定住してよかったと思うことは、「自分がブラジルで選んだ業界を迷わず追い続けられたこと」「日本の文化と日本人の気持ちを理解出来るようになったこと」。
 さらなる日伯関係の強化について小山は「日本とブラジルに限らず各国には性格があるので、各国が正しい選択をすれば、国のため、自分のためにもなるので、その国の共通点があれば、関係は強化できる」。
 主なボランティアは群馬県高崎市国際交流ブラジル代表として8年間活動した。信用と信頼が大切なこの業界で、みらい建設が18年間勝ち残ってきた理由を「いつもお客様目線に立った行動をしてきたこと」「情報の先読みをすることによってお客様に最先端のものを提供できること」を挙げた。
 小山は「ブラジル人として、日本人として、受けてきた教育と愛情を、無条件で、先祖から伝わってきたものを次の世代に伝えていきたい」といって取材を結んだ。
 濃厚な家族主義を守り通し、両親だけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんという祖父母の精神文化が孫の代にもしっかり継承されているブラジル日系人の素晴らしさを改めて感じた時間だった。(カンノエージェンシー代表 菅野英明)


みらい建設の会社概要

社名:みらい建設株式会社
本社所在地:群馬県邑楽郡大泉町
会社創業年月:2003年 (平成15年)
経営理念:信用、誠実、お客様第一
社長 小山武リカルド
社員数 7名
主な営業取引先 日本国内の一般客
主な営業内容 新築住宅、店舗改修など
平均工期期間:6カ月、
事業内容 建設業及び不動産業
市場の商圏:日本国内の国際社会
営業方法:主にインターネット、雑誌、お客様からの紹介
取引先から御社の何が信用され何が評価されているのか:誠実さ


新築購入者と支払いローン

新築購入者の主な購入理由:「外国から移民して本人または子どもが母国に帰れないため購入する」「日本で長年暮らして母国より日本に馴染んできたため購入を決めた」
住宅販売構成比:日系人市場=60%、非日系人市場=40%、日本人市場=0%、受注物件構成比:新築物件=80%、中古物件=15%、その他改築工事など=5%、一戸当たりの平均販売価格:1800万円
購入者の平均年齢:40歳
買い主の主な職業:会社員
購入住宅の主な支払方法:住宅ローンの利用、
ローン支払者への主なアドバイス:35年という長い年月のため35年後の事を考えてローンを組む事
住宅融資の主な金融機関:住宅支援機構
ローン返済中の不良債権発生率:5%
同社のアフターサービスの特徴:期間限定ではなく一生アフターサービス
新規事業:ソーシャルメディア分野でIT化に取り組んでいる


小山の人生と家族

生年月日:57歳で1964年6月の東京オリンピックの年に生まれた
出身地:サンパウロ・オザスコ生まれ、
最終学歴:マッケンジー大学建設学部卒業
日本初来日の年月:1990年4月(昨年日本定住30周年を迎えた)
その当時の日本の印象:バブル時代だったので日本は輝いて見えた
最初に働いた職業と居住地:千葉県で建築の現場監督
生活信条:家族第一
趣味:旅行
主な友人:最良の妻であり友人でもある
妻の名前:Amor、来年の2022年に結婚30周年を迎える妻とは日本に来る時に結婚を決断した。「いつも私の事を想ってくれて常に正直なことを言ってくれるから」
夫人の内助の功:「妻がいなければいまの私はいない」
家族構成:妻、息子、娘2人

長女の亜利沙(ありさ)

子供の名前:長男・龍一(みらい建設の不動産部長)=京都精華大学卒、日本生まれの四世、一級級建築士資格、宅建主任者資格を取得している。この資格があれば日本の全国各地で建築の設計や不動産の売買や仲介業のビジネスができる価値のある資格だ。
 この二つの日本の国家資格を取得しているのは19万人いる日系社会の中でも数人程度いるかどうかではなかろうか。龍一は多文化共生時代を生きる新しい日本人像の先頭グループに立っている一人といってもよいだろう。
長女・ありさ亜利沙=(同社の営業担当)=2014年は帝京大学教育学部へ入学、2年生の時に体重別全日本学生柔道選手権大会でも優勝している、日本の柔道家として有名、小さい時から柔道一直線で2017年には世界選手権大会でブラジル代表になっている
次女・りな利奈=京都精華大に在学中、
小山は何人兄弟の何番目:3人兄弟の長男、
小さい頃の思い出:おばあちゃんの家で家族全員が集まって食事をしたり遊んだ
親の手伝いをし始めたのは何歳:7歳
手伝いをした仕事の内容:家の掃除や家具の埃を取ったりしていた
父:小山かずま、1938年8月生まれ、ブラジル生まれの二世、母:松原かずえ(一昨年に亡くなった松原ホテル社長・松原三郎氏の妹)
小さい時に親から教えられたこと:父:一生懸命、諦めない、母:一生懸命、勉強