どちらも本当に難しい決断だった、と思う。
フォーリャ紙やエスタード紙に名前入りで記事を出し、お膝元のサンパウロ市議会でも多くのブラジル人名士や教え子を前に鼻高々に紹介したレオポルジーナ案を中止した上原幸啓文協会長の判断。そして、第一回投票で勝ち、弁護士から「間違いなく勝てる」と言われていた裁判を取り下げた谷氏のそれの両方だ。
面子もあれば誇りもある。どちらも無念の決断だったと推測する。最後にケチをつけた裁判問題だったが、谷氏は迅速に最終判断を行った。どんな人間にも迷いはあるし、間違いもある。
最終的に選挙で勝ったとはいえ、一年以上もコロニアの声を聞かずに迷走を続けて選挙にまでなった上原氏の功罪と比較することは難しい。戦後移民の百年祭での活躍は、間違いなく期待されている。 (深)
05/5/4