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米国日系人収容所=「マンザナー」=日系人自身が舞台で掘り起こす=連載(1)=経験者高齢化して行く中=事実を客観的に伝えたい

2005年8月31日(水)

 太平洋戦争戦時中における強制収容は、六十年を超えた今までもアメリカ日系社会に暗い影を落としている。長年触れられなかったこの歴史を今、日系人自身が掘り起こし見つめ直している。今年六月にロサンゼルスで公演された「マンザナー、あるアメリカの物語」。同地在住のオペラ演出家、前重明子さんによる音楽家の視点からの解説と、現地での反響を三回にわたり紹介する。
 「マンザナー、あるアメリカの物語」が今年六月二日、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校内のロイスホールで上演された。
 マンザナーとは、第二次世界大戦当時、日系人収容所があった土地の名前。ロスアンゼルスから北に約三百五十キロほど離れた場所にある。
 一九四二年二月十九日、当時の大統領フランクリン・ルーズヴェルトは、戦争におけるアメリカの国益を脅かすものは、いかなるものであっても、強制的に移転させ拘禁する、という大統領令を発令した。
 それにより、ほぼ打ち捨てられた状態にあったかつての農村マンザナーは、一夜にして鉄条網の張り巡らされた日系人収容所の町となったのである。
 収容所に送られた日系人の大半は、米国生まれ。日本語を話せない人、日本を訪れたことのない人も多かったという。許されたわずかな荷物だけを持ち、バスに乗せられて、マンザナーへと送られた。
 マンザナーは一九九二年に国立歴史遺跡として認定され、現在は国の管理下にあるが、本国である日本はもとより、米国在住の日系人ですら、三十代以下の若い人になると、この地に日系人収容所があったことを知る人は少ない。
 マンザナーでの収容所体験を中心に、日本人の移民が始まった十九世紀後半から現在に至るまでの日系人の歴史を、オーケストラによる音楽と散文詩の朗読で綴ったのが「マンザナー、あるアメリカの物語」である。
 朗読を担当したのは、フギュアスケートの元金メダリスト、クリスティ・ヤマグチ、上院議員ダニエル・イノウエ氏ら日系の有名人たち。指揮は、現ロスアンゼルスオペラの音楽監督、ケント・ナガノ氏である。
 ナガノ氏は北カリフォルニアのモロ・ベイという小さな町にある農場で生まれた日系三世。祖父母、両親ともに収容所の経験者である。母方の家族は、収容所への監禁により、それまで築き上げたものの全てを失ったという。
 演奏会に先立って行われた五月十五日の講演会で、ナガノ氏は、「二〇〇〇年の初頭、当時カリフォルニア州立図書館長であったケヴィン・スター博士から、カリフォルニア・シヴィル・リバティーズ・パブリック・エデュケーション・プログラム(CCLPEP)の一環として、アメリカの歴史上の汚点ともいえる日系人収容所を、音楽作品にできないかという話が持ちかけられた。自らのバックグラウンドをかんがみて、ぜひ受諾するべきだと感じた」と語った。
 州からの申し出とはいえ、取り扱うのが微妙な問題であることは否めない。スター博士からも、芸術と政治を混同しないこと、カリフォルニア州はあくまでも資金提供者にすぎないことなどを念頭に置くようにと、釘を刺された。
 ただ、ナガノ氏は自らを「アメリカ人」と呼び、日系人収容所の存在についても一方的に批判をするつもりはなかった。
「歴史上の出来事を良いことだったのか悪いことだったのか判断するのは難しい。しかし、収容所の経験者が高齢化していく中、何がそこで起こったのかという事実をできるだけ客観的に伝えていくことは必要だと思う」。つづく

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