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現代の開拓者たち=新境地拓く在日ブラジル人=(4)=養護学校で子供の世話=控え目な性格超え挑戦

ニッケイ新聞 2009年10月21日付け

 【愛知県知立市発】県の緊急雇用で、工場勤務時代には考えもしなかった就職先を見つけたのは屋良マルコスさん(41、三世)。勤務先は重度の障害がある子どもたちも通う養護学校だ。
 「最初はこんなところにブラジル人がいるのかとびっくりしました。でも毎日たくさんびっくりして、いっぱい感動あるよ」。サンパウロ市から単身で来日。独身で、父母と妹がサンパウロにいる。
 今年7月に愛知県岡崎市で行われた愛知派遣村交流集会で、ボランティアや相談者約170人の前で、次のような発表を日本語で行った。
 「昔からケチな生活を送っています。お金はあまり無くって、牛田駅から東岡崎駅までは290円片道かかります。だから、自転車で岡崎派遣村へ来ました。(中略)18年間、製造工場からアパートへ、アパートから工場へ通うだけでした。内気で、日本人的な性格です。おかげで日本語はなんとかできます。けれど接客業やサービス業には向いていない、これが〃壁〃です」。
 昨年派遣切りに遭い「不安で馬鹿なことも考えた」という。派遣村での健康相談では、医師に「仕事を見つけることが薬になる」と言われた。
 「何もしないで生活保護を受けるのは申し訳ない」と知立派遣村実行委員になり、集まりには欠かさず「控え目」に参加している。
 そんな時、愛知県が養護学校の通訳を募集しているのを見つけた。期間採用だが、5年前ほどから工場以外の仕事もしたいと考えていたため、応募することにした。
 「電話で面接の予約したくても、その時点でダメと言われることが多い。ここは大丈夫でした」。
 毎日、自転車と電車を乗り継ぎ、2時間かけて学校へ通っている。
 「もっと早く行けるかもしれないけれど、念のため。朝も出かける2時間前に起きてしっかり朝食をとる。子供相手は体力大事だから」。
 他にも抵抗力や体力の弱い子供たちのため、風邪などをうつさないよう健康にも気を遣うようになった。学校の先生からも「本当に子どもたちのことを考えて一生懸命に取り組んでくれる」とお墨付きだ。
 「工場の仕事はみんなが決まったやりかたをします。今の職場では翻訳するためにインターネットが使えるパソコンを置いてもらうことになった。毎日何か起こる。まったく新しい経験です」。
 ある日、給食の時間に一人の生徒が、屋良さんがメニューを読み上げるのを聞いて笑いが止まらなくなるというハプニングがあった。普段話をして意思疎通をするのも簡単ではない男の子だ。
 「わたしもみんなもびっくりした。笑いってすごい薬です」。
 またあるとき、黙って涙を流している生徒がいた。「なんで泣いているのと聞いても、ただ涙流している。暑いかもしれない、と扇風機をつけたら涙が止まった。わかってあげられないとわたしも悲しい」。言葉で伝えられない分、ちょっとした変化を見つけてやらなければならない。
 数カ月前に「馬鹿なこと」を考えていた屋良さんが、今はどうやって子供たちとコミュニケーションをとろうかと前向きな試行錯誤している。
 「こちらの世界が楽しいと見せなきゃ。だから先生たち頑張ってる」。
 そして通訳という肝心な役割も果たしている。「わたしが働くまで先生たちはブラジル人の親と連絡するのが大変だった。2時間かかったのが今は15分だって」。さらに日本語を磨くべく日本語検定2級取得に向けて勉強している。
 ここ数カ月、屋良さんに「この仕事を続けたいですか」と何度か質問しているが、いつも決まって「期間が決まっているから難しい」「3カ月働かないとわからない」「日本語をもっと勉強したいけれど」とこの仕事への強い思いを感じる一方で、はっきりとはしない返事だった。
 ところが、1カ月ぶりに会ってもう一度聞いてみた。「子供たちはまだわたしを許してくれない。わたしがあげるスプーンで食べて欲しいです」。(続く、秋山郁美通信員)

写真=屋良マルコスさん